猫のこと
はるな


 うちのまわりに常習的にみかけるのら猫が2匹いたのだが、寒さがきびしくなってからは、そういえばとんと見かけない。どこかで冬を越しているのか、そもそものらではなく飼い猫だったのか、それとも寒さを越せずに死んだのか。
 動物を、これといって好きではないほうだが、猫はみていてたのしい。猫の造作が好きだというのもある。それから小さな子どもも。そのたのしさは少し猫をみる楽しさと似ている。だけれど、動物と子ども、とくに猫とちいさな子どもにはまったく好かれない。

 奇妙なゆめをみた。調子がわるいときには、たいてい悪夢とよべるような夢を見る。一晩にいくつも。いくつもいくつも。極彩色の、黒白の、フリッカー気味のちらついたの、音のないの、痛みを伴うの、うすっぺらい色だけが流れる抽象画のようなの。いくつも。
このあいだの夢ではわたしは高校生だった。枯れ木のような腕と脚、袖のゴムののびかけたカーディガン、ばかみたいに短いチェックのスカート、紺色のくつ下、上履き、つめたいタイルの、不潔そうな床。呼び出されて、特別教室に行くと、以前に好意を寄せていた男の子と、その男の子の担任が向かい合って座っている。男の子は、わたしが最後にみたときよりも少し太っていて、肌が荒れ、そのうえ頭髪が薄くなっていた。たぶんわたしたちはたがいに高校三年生で、卒業式まであとわずかな時期だった。彼の、その年齢の男の子であればかみのけが生えていてしかるべき場所には、煙草を押し付けたようなやけどの跡がいくつも見られた。でも男の子はすでにそれを隠すことはとうにやめてしまっているようだったし、そもそも最初から隠してはいなかったような態度で椅子にすわっていた。男の子と、その担任はたがいに煙草を吸っていて、男の子は脚をなげだすようにしてすわっていた。太って、肌が荒れてはいても、まつ毛が長いのがわかった。だけれど、わたしはその顔をずっとみていることができなかった。
 そのあと、男の子とわたしと男の子の担任の教師と三人で話をした。たぶん内容はその男の子の卒業の危うさに関してで、だからきちんと残りの日数登校すべきだとわたしがはげますようなことだったと思う。

 なぜそんな夢を見たのかはわからない。その男の子のことは実際に好きだった。肌が汚れてもいない、頭髪も後退していない、だけど卒業だけは実際に危なかった男の子。長いあいだ片思いをして、向うの好意もあきらかだったのに、なぜだか交際することができなかった。そういう風に、お互いに好ましく思っていても、恋人になれなかった男の子はほかにも一人だけいる。ふれあえなかったぶん思いは純化されてしまって、自分でも置きどころがわからず、後悔するでも大切に思うでもなく、ただ好きだった気持ちだけが遠くなっていく。それは地面に置かれた小石のようで、なにかの拍子に心が大きくゆれると、ころんころんと手前に転げてくるのだ。思ったよりも遠く、小さく、純粋なものになってしまって。

 男の子とは、高校を卒業するまえに、一度デートをした。大きな公園で。そのことを、まだ誰にも言っていない。四時間も五時間も話をした。重ならなかった自分たちの時間にたいする言いわけのように。手もつながなかった。肩も寄せなかった。わたしたちの時間は、重なるには遅すぎた。そういうことが、話せば話すほど浮き彫りになっていくような、それでいてかなしくもうれしくもない、そんな時間だった。
 そのときに猫がいたのだ。夕暮れで、帰るまぎわに。彼が猫をふしぎな声を出して呼ぶと、猫はたやすく彼に吸い寄せられ、抱きあげられた。
 わたしもそんなふうにふしぎな声で呼んでもらえればよかったのになあ。




散文(批評随筆小説等) 猫のこと Copyright はるな 2011-01-16 01:14:32
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