寝言は役に立たなかった。
真島正人


個人的な話だが。
あまりにも呆然としてしまったのと、書くことが弔いになるかと思って。



Iさんが亡くなってしまった。
昨日、数人で一緒にバーで飲んでいて、気分が悪くなったといって彼は先に帰ったのだが、家に帰って布団に入って、亡くなったらしい。



Iさんは、僕がやっている事業の副会長であり、それも、つい二日前(つまり、彼の死の前日)、副会長になってくれたばかりだったのだ。



バーに僕を誘ったのはIさんだった。
町内会の新春の集いの後、急に僕に、
「次行こう、次」
と言った。
なんのこと?と思うと、親しい数人でバーに行くつもりらしかった。
「ほら、ほら、早く行くぞ」
とやたらと急かした。
残り物を片付けている僕に「早く早く」と言い、トイレに行っているKさんに「なにやってるの、早く」と言った。
やたらと急かしたわりに、一度自転車で家に荷物を置きに行って、徒歩の僕たちがバーにたどり着く前に追いついて合流した。
一番に店のドアを開けたのに、僕たちがあとを着いて入ると、もうトイレに直行していた。
一度出てきて、バーボンのロックを注文して、またすぐにトイレに入ってしまった。



気分が悪いらしくて、心配してトイレのドア越しに声をかけるとうめき声が聞こえた。
Kさんが「吐いてるだけだろ、ほっとけほっとけ」と言って、しばらく勝手に飲んでいると、少し乱れた髪で出てきて、みんなに向かって
「気分が優れないので、帰ります」
と言った。
僕が見送ると、元気そうに自転車に乗ったので、安心してしまった。



僕たちはそのまましばらくバーにいて、チーズを食べながら酒を飲み、そのあとでNさんの家に行って、日付が変わるぎりぎりまでコーヒーを飲みながらしゃべっていた。



僕は、見たかった深夜アニメが12時からはじまるので、急いで家に帰って、服も脱がずにテレビをつけて、数分見逃したけど、なんとか間に合った。
そのあとはだらだらとしながら、もうひとつ見たいアニメが2時過ぎからあるので、それまでの間に詩を一本書いてここに投稿した。
寝言について書きたいなとちょっと前から思っていたので、寝言について書いたのだった。



やがて見たかったもう一本のアニメがはじまって、裏番組も見たかったので、今後どっちを見るかを考えつつチャンネルを変えたりしながら、缶ビールをあけて、MIXIの日記を書こうとした。
バーで、Iさんが気分が悪くなって帰った後、Iさんが僕のせいで、町内会で文句を言われたことをNさんから聴いたので、そのことを反省する内容を書こうとしたのだった。
実はIさんは町内会長でもあり、町内会で僕の仕事の宣伝をしてくれたらしいのだけど、そのせいで、ほかの役員から「公平な場の町内会で、個人の仕事の宣伝をするのはけしからん」と注意をされたらしかった。
でも僕は、その日記を書いている途中で眠くなって寝てしまったのだった。



朝、目覚めると、パソコンの画面が真っ黒になっていて、「あれ? 途中で寝てしまったはずなのに、どうしたんだろう?」と思ったら、コンセントが抜けていた。
まだ時間が早かったので、布団の中でだらだらエロ本を読んで、しばらくしてから、Iさんに「昨日は先に帰りはったけど体調大丈夫ですか?」とメールを打った。
いつもならすぐに返事が来るのに来なかった。



町内会の件で迷惑をかけたことを謝りたいとも思ったので、直接家に行こうと思った(僕とIさんの家は、道路ひとつ隔てただけである)。
でも、実は昨日、バーで僕はお金が足りなくて、Nさんに800円借りていて(Kさんにも40円借りた。Nさんに840円貸して、と言ったのに、酔っていて800円しか出してくれなかったので、Kさんが「しかたねぇなぁ」と出してくれたのだ・笑)、「やっぱ先に金を帰しに行こう」と思い、Iさんの家ではなく、Nさんの家に向かった。



すると偶然ご近所のSさんが車で向こうからやってきて、会釈をしたらサイドガラスを下げて顔を出した。
何だろう、と思うと、唐突に、
「おい、Iさん亡くなったらしいな」
と言った。
僕はまったく意味がわからなくて、
「え? なんのこと?」
と問い返した。
想像もつかなかったのだ。
「まだ知らなかったのか」
「知らないも何も。Iさんなら昨日一緒に飲んでましたよ」
「らしいな。その後家に帰って亡くなったんだってよ」
そんなことをいわれても、ほんとうにわけがわからなかった。
僕は昨日の夜、気分が悪くなったといったIさんを見送ったし、そのとき彼はふらついた様子も無く、自転車に乗ったのだ。
「大丈夫ですか?」
と問うと、
「大丈夫」
と答えたのだ。
そもそもまだ59歳で、死ぬような歳じゃないはずだ。
二日前に、正式に僕の仕事のパートナーになってくれたところだったのだ。
今後、ゆっくりと飲んでいろいろなことを話そう、と約束したところだったのだ。
携帯のアドレスは知っていたが、PCのアドレスはお互いに知らなかったので、年末の町内会の忘年会で、交換し合ったところだったのだ。
彼は「政治の話なんかしようよ。今の情勢についていろいろ話したいからさ」と言っていたところだったのだ。
僕が真空管アンプを持っている、というと、彼はPPMや高田渡のレコードを持っているといい、僕は今度それを聞かせてほしいなと思っていたのだ。
小説の話をして、彼が好きな作家の名前を教えてもらったのに、酔っていて忘れてしまって、今度もう一度訊こうと思っていたのだ。
二日前、僕が今やっている仕事に、副会長として就任してくれることを受諾してくれたときにも、彼の家で、ちょろちょろと話をして、僕は彼の実感に基づいた知性に感化され、「近いうちにまた飲みに行っていろいろ話そう」と言ってくれたことがうれしくて、それを楽しみにしていた矢先だったのだ。



僕とIさんが知り合ったきっかけは、町内会の空き缶のリサイクル運動で、一緒に空き缶集めをしているうちに、話すようになった。
話してみると、彼の奥さんが僕の母親の同級生で、彼の二人いる子供は、僕のひとつ上とひとつ下。
そういうことがわかって、僕に親しみを持ってくれたらしかった。
僕が今やっている仕事が、なかなかうまくいっていなくて、とにかく人手が足りない、どうすればいいんだろうと頭を抱えていたところ、駄目もとでIさんに相談してみたら(僕は門前払いされると思っていた)、家に入れてくれて、きっちりと話を聴いてくれた。
そして、数日後の僕のやっている事業の会議にやってきてくれて、いろいろな意見を交わしてくれたのだった。
これまで、いくら頼み込んでも、なかなか会議にも人が集まらず、僕は途方にくれていた時期だった。
そんなふうにして、ほとんど何の関係も無いのに、やってきて、踏み入った意見と議論をしてくれた人は、ほかに誰もいなかった。



そんなきっかけで、距離が近まり、それからたびたび仕事の相談に乗ってくれて、仕事先を紹介してくれたりもした。
今やっている仕事を立ち上げてからおよそ1年がたち、そろそろきっちりとした組織を立ち上げなければならない(これまでは借り物の組織のようなものだった)、という時期にさしかかり、以前から名のある何人かに副会長を依頼したが、逃げられてしまった。
いっそIさんに駄目もとで頼んでみようか、ということで、彼の家に頼みに行くと、先述のように、(最初はちょっと及び腰だったけど)引き受けてくれたのだった。



Iさんが死んだ日、バーに行ったのは、僕・Nさん・Kさん・Yさん・Hさんだけど、バーを出たIさんを見送ったのは僕で一人で、バーから彼の家は自転車で五分ほど。
実質上、家族以外で最後にしゃべったのは僕だろう……。



僕も誰も、Iさんが死んでしまうなんて思っていなかった。
僕はむしろ、バーにいる間中、ガンなのにウィスキーを飲んでいるNさんの方の心配をしていて、体調が悪いといって帰ったIさんの心配はしていなかった。



それにしても本当に、最後にバーから出てドアの前でIさんに問いかけた「大丈夫ですか?」という言葉が、寝言になってしまった。
そんな言葉、まったく意味が無かったのだ。
「大丈夫ですか?」と問いかけて、
「大丈夫。ありがとう」
と返されて、安心してバーに戻って、また飲んでしまっていた。
そんな返答に安心せずに、救急車を呼んでいたら、あるいはきっちりと家まで見送って、状態を確認していたら、彼は死なないですんだかもしれない。



僕は、Iさんが死んだ夜、そんなこと何も知らずに、このキーボードで、寝言は必要だというような内容の詩を書いたけど、実際には、寝言になってしまった言葉は、何の役にも立たなかったのだ。



朝起きた娘さんが見たら、冷たくなっていたということだから、夜に死んでしまったのだろう。
その間、そんなことを知らずに、すぐ近くで僕は、飲んで、しゃべって、テレビを見て、詩を書いて……としていたのだと思うと、なんともいえない気持ちになる。



また、僕にとって悔やまれるのは、Iさんに、もっと詳しい話を聴きたかったということだ。
彼が死んでしまうまでに、二人きりでしっかりと飲みに行っておきたかった。
彼は、いろいろな議題を持っていて、先日僕に、「たとえば、今度飲みに行って、あれとこれとこれについて議論したい」というふうに言っていた。
彼の家に行って、しらふで多少突っ込んだことは話したけど、もっともっと、突っ込んで話したかった。
いろいろな、彼の視点や、彼の経験、彼の感じていることを、教えてほしかった。
その兆しだけを残して、逝ってしまったことが悔しい。



結局、彼から、交換したPCアドレスへのメールは、無いままに終わってしまった。
すべてがこれから、というときだった。
携帯にくれたメールは、消えないように今日、保存した。



とにかく、僕にとって、まだまだ付き合いは浅いとはいえ、初めて、僕の組織の中に、何も無いところから、僕の意思で入ってもらった人だった。



ときおり、「この人とはもっと話すことができそうだ」と思うことがある。
めったに無い。
Iさんは、そんなめったに無い人の一人だった。
いろんなことを聴きたかった。
話し方も、好きだった。
めがねの形と白髪まじりの髪型が、蒸発した僕の父親にちょっと似ているところも、好きだった。



今日、何度か名前が出てきているけど町内会のNさんに何度も「Iさんは、このところずっと君の仕事のことに一生懸命やったよ」とか「昨日の新春の集いでも、これからやりたいことをたくさん話していたのに」とか聴くと、なんともいえない気持ちになる。
そういうと、今度、町会で、リレーと野球をやろう、若いやつ集めてよ、と言っていたっけ……。



僕はライターをやっていたし、偶然彼もライターをやっていた(ライターとしての種類はぜんぜん違うけど)。
僕は、自分の行った、ある一日などが、書き残されればうれしいと感じる。
彼もきっとそうだろうと思い、こうして、書き残して投稿することにする。



散文(批評随筆小説等) 寝言は役に立たなかった。 Copyright 真島正人 2011-01-12 01:35:54
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