乱視
手乗川文鳥



家の中で一番大きな窓に身体が映る
わたしの本当に美しい姿は
ピアニストになり損ねた青年の指にゆっくりと裂かれるとき
離れていく右半身と左半身が完全に分離する寸前に
皮膚が結露に触れて濡れた部分が汚いと感じる
わたしは窓枠について考える
刺してやりたいな、ひと思いに
その感触がいつまでも手に残って、思い出す度にぐったりとなる気持ちを、わたしはあわあわの卵にして家中に産みつける、どこもかしこも、あわあわ。



わたしたちは手を繋いで動物園へ行かなかった
晴れた平日に家を出てそのまま電車に乗らなかった
わたしたちの自主性はわたしたちを都市から遠ざけた
わたしたちの足跡は雪の日の道路に残らなかった
そのようにして、わたしたちのこどもは、うまれなかった
/山に囲まれた集落で祭があった/わたしはそこで全然可愛くない黒髪の人形を買ってもらって少しも嬉しくなかった/ここの神様は/とても寂しがり屋だから/帰ろうと口にしてはいけないのだと/母が言った/行こう/と言わなくてはいけないのだと/言った/だから/行こう/色とりどりのヒヨコたち/行こう/赤い金魚と黒い出目金/行こう/狐の面の行者たち/行こう/全然可愛くない黒髪の人形/行こう/おとうさんとおかあさん/行こう/かみさま/行こう/寂しがり屋のわたし/アスファルトが敷かれていない/土の参道を行く/見知らぬ土地で一度だけ行って/そして/行った/わたしのお祭/母は幼い頃/この祭に行く途中で狐につままれたのだと/後で話した/わたしは車の中で/おとうさんとおかあさんは/どうしてこんなに可愛くない人形を買い与えるのか/そのことを考えながら/人形とにらめっこして/そのうちに/眠った/



曇りの日にわたしたちは服を脱がずに性行為をしてそのまま眠った
真水のようなおとなと
無味無臭のこども
祖父の妹は耳が聞こえなくて喋ることができなかったが
わたしには彼女が伝えたいことが分かっていた
だから彼女のお葬式は少しも悲しくなかった
彼女は死んだけどこれは別れではないと知っていたから
幻灯が棺のある部屋を走り回って私は模様を追いかける
その向こうに彼女がいてほほえんでいる/手にはきっと甘露飴を持っていてそしてわたしはそれを受け取る/いつものように/やっぱりおいしくないなと思いながら/舐めて/おいしいと言う/彼女も飴を口に含む/棺の底で冷えていく/彼女の言葉を/わたしは/聞き取ることが/できなかった//
とても安らかな骨



とてもしずかないくさがあって
とてもしずかに、人は殺され、焼かれ、灰になった、
そしてしずかに、人が泣いて、怒り、人を殺した、
指で、弦を弾くように、人が跳ね飛び、人に巻かれて、人を欺き、人を罵倒した、
しずかな戦争、しずかな裏切り、しずかな強奪、しずかな排斥、
えいえんに訪れない和解、欠乏しているのは目に見えるものの中にも、目に見えないものの中にもあって、掬いきれないから、飲み込むしかなかった、それが、飲み込まれることと同じであっても、融け合いたいと願うことと、その拒絶が、掛け違いになったボタンのように、ループして、終わりがないので、それは、和解などあり得ないのに、なのに融け合いたいのでわたしは。
全部丸ごと身に纏う



いずれ
ひとけのない墓地となるので
都市は
喪服を探している
仕立ての良い黒い影を
落として
その上を
用心深く歩いていく
おとなたちと
死にたくはない
こどもたち
わたしは横断歩道の白と黒の境目を
縫うようにして歩くルールで
行って
そして
行った





/昔/山に囲まれた集落で祭があった/祭へ行く途中/少女は狐につままれた/いくら歩いても真っ暗で/世界はもうすっかり/眠り落ちてしまって/少女ばかりがひとり/目を閉じたまま歩いていて/もうもとの世界には/帰ることができないのだと/もう/行くしか/残像の手が/少女の手を引いて/行って/棺のある仏間/幻灯の模様/を追いかける/模様になったわたし/ずっとあの模様に届かなかったのは/わたしも同じく模様であったから/部屋の中央でそれを眺めている少女が/ずっと母であったのに/追いかけることに夢中で/気付かなかった/
咥内で溶けていく飴/
明滅しながら走る
窓の外がひかりはじめる
(あわあわ
ようやく祭が終わって
少女は母になる
次はわたしが
幻灯を眺める
/大人たちが口々に「おかえり」と言うので/
帰らざるを得なくなるまで/
そのようにして、うまれなかった、わたしたちのこども



晴れた休日に、わたしたちは、どこへも行かずに
服を着たままで、息を潜めながら/
(ぶれる
/身体の向こうに見える/(もういかんといかん
二重の窓枠/
夕方
一階のシンクで
貝は砂を吐いて死んだ/








自由詩 乱視 Copyright 手乗川文鳥 2011-01-10 02:10:29
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