海亀2題
salco

Before

 私

もし私が海ガメだったら今頃は
月の裏側で首をもたげて、
―― 海へ帰る時刻だ
ぶざまなヒレは砂を漕いで、砂を漕いで
すると波頭が白くぼんやり輝きながら
私の名を呼ぶけれど、私は
気づかないかも知れない
涙と共に卵を産みに来て
却って陸へ陸へと行ってしまうのかも
そうして私の骨が干乾びて
甲羅に千の亀裂が割れて
虫一匹その亡骸を顧みなくなった頃
被せた砂の中からいつか
小さな何十匹もの子供達が
遠い海を目指して
暗い浜を突進して行くかも知れない
砂を漕いで、砂を漕いで


もしも私が海ガメだったら今頃は
プルシャン・ブルーの海の中で
呑気に呑気に暮らし ―――
それよりも、
私の目はきれいだった事だろう
悲し気な
その目には罪業の翳ひとつ無く
もしも海ガメだったなら
蒼い蒼い、水と夜の間で首をもたげ
月の裏側に光を仰いで、
幾分かは幸せなのだ
そうして何も知らずに暮らせるだろう
何に胸を焦がすでもなく
何に手を汚す事も無く
空虚と焦燥に身を持て余すでもなく
血を流す事も無く
―― 死ぬ時だって苦しみはしない

あれから何千年の時が経ったろう
自分がまだ二十三年しか生きていないなんて
とても信じ難いのだ
こうして何千年も微動だにせず
遥かな水平線を見て暮らしているというのに?
私はコンクリートのクレタ島の生きた石像だ
夢は石の中に、
夕陽は歳月の堆積に沈んで行く




After

 教育の失敗

元来知能が優れず成績はいつも中の下
と言ったところである私の高望みしない脳も
かつては捕え切れない目まぐるしさで
虹色のニューロン達が
電光石火の如く明滅していた時期があった
それは知性ではなく
他人より若干俊敏かも知れない感受性だったが
幼少期から思春期の終わりまで
私はこれに夢中になって日々胸を張り
楽しく生きていたものの
その感受性を知識で補強し
的確に言語化・体系化する為の訓練を
決して自らに課した事はなく
こうして長年己の教育を怠って来た為に
今や陸に上がったウミガメよりも鈍重な
感受性の尻尾を何とか捕えて
不毛の砂地に産卵させようとすると
衰えて常習便秘の卵巣は
痙攣しながら腐った体液を
1滴2滴垂らすだけで瀕死に陥る


自由詩 海亀2題 Copyright salco 2011-01-05 23:21:54
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