サから始まる語義凡例 番外編・ハ〜モ
salco

橋田壽賀子
 予定調和のオーソリティー。文学にアンチテーゼを投げかけてやまない脚本家。

 どこにでもあるような設定は一見想像力の欠如を想わせるが、考えてみるとあり得な
 い現象※や葛藤を次々に出来させるその手法は、後世シュール・ファンタズム又はタ
 ダイズムと呼ばれ、ドイツ表現主義運動やサルバドール・ダリ、又はダダイズム芸術
 家の好敵手と称えられた。

 題材を同じうしながら家族間・男女間の情愛、葛藤、欺瞞を描出した故・向田邦子と
 対照的に、徹底的に内省を削ぎ落とした観点で表現するそのドラマは表層雪崩にも
 似て、ある種爽快である。

 ※連続ドラマ「渡れ世間の鬼ごろし」に於いて、
 1)諒解と隠蔽の堆積上でコミュニケーションする家族がこんなに長話をするわけが
   ない。
 2)えなりかずきのような者が社長令嬢はおろか女子大生に相手にされる道理がない。
 3)雇用主にあれだけ楯突く従業員が解雇されない筈がない。
 4)故・山岡久乃と故・藤岡卓也の交合で長山藍子や中田嘉子、野村真美と藤田朋子
   が生まれるのは必ずしも遺伝学的にあり得ない事ではないにせよ、その姉妹へ泉
   ピン子が入るとなれば、この次女は血縁関係を否定されなければならない。ある
   いは他の4人が。
 5)まして前世紀は頻繁に山口百恵の父であった宇津井健の精子から泉ピン子を発生
   させるのは、ヒト科とかけ合わせる限り不可能である。
   など、などなどなど。


バナナ
 これがイヴの齧った果実であったなら、蛇をも噛み殺して「サッフォー万歳。アダム、
 来たけりゃついて来な」とのたもうている筈だった。従って西洋史の様態は随分違っ
 ていただろう。
 
 このアホらしい果実の味には、確かに亜熱帯の倦怠がある。舌先を刺激する青いえぐ
 みの野蛮は、まるで仄暗い密林の残滓であるかのようだ。これを好むと好まざるとに
 関わらず、時にお猿ぐらしは懐かしい。

 旧約聖書創世記の「智慧の実」は、新約の布教が欧州大陸に拡大される過程で「林檎
 」になったと容易に推論できる。その意味では、マタイ伝から随行者として頻出し、
 人の子の復活の第1目撃者であるマグダラのマリアが、使徒行伝ではきれいさっぱり
 掻き消えて「イエスの母マリア」が女人筆頭となり、現在絵画で広く伝わる『ピエタ
 』※の主役にすげ替えられていると同質の作為を感じないわけには行かない。
 つまり破戒の首謀者を発動主体の充血ではなく、ヴァギナの疼きにすり替えた律法学
 者の意図が明白なのである。どこの処女が脚を開いてカレシにカモ〜ン♪するかバー
 ロー。んな手間いらんのじゃ、海綿体なめとんかコラ。

 青森県やバーモント州で栽培される林檎が往時のパレスチナ辺りの植生に在ったかは
 ともかく、またユダヤの人々がフィリピンやマリアナ諸島辺りに自生するバナナを知
 っていたかどうかはともかく、神官やラビがおのれのバナナを見なかったとは言わせ
 ない。実に林檎は多神教の寛大な対人観、肯定的世界観の否定であり、古代エジプト
 の、ギリシアまたローマ帝国、セム民族自身の享楽主義に向けた弾頭だったのだ。

 林檎には媚態はあっても懶惰がない。優等生と対座しているみたいで見るだに疲れ
 る。まして皮むきの面倒を要求しやがるから傲慢である。そのうえ芯があるとはふざ
 けている。せこい蜜も位置が小賢しい。ジュースも別段おいしくねえ。しかしバナナ
 より好きだ。エヴリバディ困る。

 ※聖書には、「マリア」がイエスの死体に触れている所謂『ピエタ』の場面はない。
マタイによる福音書第27章61節 … マグダラのマリヤとほかのマリヤ(ヤコブとヨセフとの母マリヤ)とが、墓にむかってそこにすわっていた。
マルコによる福音書第15章47節 … マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけた。
ルカによる福音書第23章55節 … イエスと一緒にガラリアからきた女たち(マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤ)は、あとについて来て、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。
ヨハネによる福音書第19章25節 … さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロバの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。(この時彼は存命。死後・復活以前の墓場での記述に女達は登場しない)                            日本聖書協会発行聖書より引用


馬場さん
 まことの親愛、ユマニスムの権化。

 言わずと知れた「はねるのトびら」でロバートというトリオの1員、つくしめいた容
 貌の馬場裕之氏が演じていた、受験勉強中の後輩を苛む先輩。
 独り「モラトリアム」に取り残されていることに気づかず、「アクシ、あふぉぼーぜ
 」(舌を下唇の内側に入れている為このような発音になる)と、ダッシュボードをロ
 コな造花で飾ったビュイックで夜な夜な乗りつける。おのれのヒマにかこつけて相手
 の事情・心情など一切斟酌しない、この要求こそが我々の裡に在る「友愛精神」の原
 型である。

 何憚ることなく人づきあいがしたい、同一の楽しみを分かち合いたいという気持は通
 常、共感作用として伝播するものだが、それがわきまえなく直情的に吐露された場合
 はいかに相手の迷惑となってしまうのか、先輩は対人関係の恒常的断層を表現して下
 さっているのだ。この恣意の行使は恋愛関係・夫婦関係に於いても一定の自制がかか
 るので、実際にはガチのタイマン相手でしかレスポンスを期待できない質のものであ
 る。

 自己と利害の一致しない付き合いはいたずらに時間を奪うだけであれ、事実誤認に満
 ちたこの幼稚な人物の「心霊スポットに行きたい」、「メリケンサックを自慢したい
 」といった単純な欲求を許容できなければ、間違いなく社会は洗練の底面で荒廃を進
 める。よって、「先輩・後輩」という上下関係を利用して自己欲求を晴らしている人
 物であろうと、馬場さんは極めて有徳なお方と言うことができるわけだ。
 堤下くんも大学ではこのような友人に出会えず味気ない思いをするかも知れない。社
 会人になれば尚更だ。
 
 馬場さんは車寅次郎の踏襲体だが、寅さんは既に伝説と化し、柴又駅前で銅像になっ
 てしまった。車先輩はソドムを振り返ったのだろうか。それともゴルゴンを見たのだ
 ろうか。


BBC
 英国放送局協会の略。
 時の王権と上流階級に散々搾取されて来たイギリス労働者階級の気質を反映してお
 り、権力を無批判に信任しはしないという姿勢を必要に応じ明確に打ち出している。
 これは絶対君主、立憲君主を延々戴いて来た国民の精神成熟度を示しており、自嘲
 (自虐ではない)を含めたその諧謔精神は、グレート・ブリトンという島国の議会制
 民主主義が反骨精神を持った「オトナ」のそれであることを示唆している。

 シェイクスピアを持ち出すまでもなく、イギリスのユーモアの奥義=風刺の辛辣 は
 殊に、アメリカ合衆国のコメディーと比較すると一目了然だ。C.チャプリンやピー
 ター・セラーズ、また『モンティ・パイソン』のテリー・ギリアム一派やローワン・
 アトキンソンの前では、マルクス兄弟やバスター・キートンのドタバタがいかに単
 純か、レニー・ブルースの風刺がいかに洗練を欠くものなのか、ジョン・ベルーシが
 底の浅い悪ふざけで、ジェリー・ルイスやジム・キャリーに至ってはただの顔芸でし
 かないことがよくわかる。これは、有史の浅い新大陸の観客にはひねりを解するほど
 の屈託がない事を示しているのだ。
 この観点を用いると、フランスやドイツ、ロシアなどと違って、イギリス国民が今に
 至るも国王を戴き階級制度を遵守し続ける理由が見えて来る。君主と上流階級を粛清
 してしまうと、嘲弄の対象がいなくなって退屈だからなのだ。

 ユニオンジャックは血塗られた覇権闘争と征服の歴史を象徴する。この統合体の意匠
 は大和魂だの単一民族だのとほざきながら白地に旭日天皇を大書きした我々の、薩長
 土肥などとは次元の違う民族間の流血と怨恨のか黒い呻きに満ち満ちて今日も翻って
 いるのだ。
 明治以降の天皇家及び皇族の典範、ライフ・スタイルは英国王室に倣ったものだが、
 同じ島国でありながら彼の国たみの懐は比べようもないほどディープで知的なのだ
 と、我々日本人は重々自戒する必要がある。人類の発祥地がアフリカ大陸であり隣人
 愛の発祥地がシナイ半島ならば、ブリトン島こそは気骨の発祥地なのだ。


ヒューマン・ネイチャー
 同性愛を臆したり蔑む理由はない。ヘテロセクシュアルの恋情も出し入れ沙汰に終始
 するうち希薄化する欲求でしかない。対象個体に執着する(事により自己充足を図る)
 のなら、結局は並んで歩くぐらいしかできないのだ。それが異性であれ同性であれ何ら
 の違いはなく、繁殖を理由に相手を好む者など誰一人いないのは言うまでもない。

 なるほど遺伝子は自己複製を要求するのだろう。しかし人間の意識は高尚とは呼べぬ
 までも、もう少し複雑なのだ。子育てを介してアガペーに類似の自己犠牲や慈愛の視
 野(しかし我が子を前提とする限り博愛とはなり得ない)を獲得しようと、それは2
 者間に介在する情緒や妥協点とは全く別の主題である。

 また身体・人格を異にする子孫を発生させたことで徳川家の家系図をでも幻視し、死
 せる自己が塩基配列の一隅で存在を続けるなどという、文芸ロマンに酔うのも空疎な
 錯誤に他ならない。アデニン、グアニン云々など万人に共通どころか原虫も有してい
 る。
 皮1枚残せぬ我々が地上に遺せる物があるとすれば、後世の俎上にのぼる姿勢ぐらい
 なものだろう。地球環境の悪化を食い止め軍事衝突を回避しようとした気分さえ、墓
 地の掃き跡よろしく暫時消え残るものでしかないにせよ。


フレーメン反応
 目が点になった猫の心理状態をいう。

 耳朶を倒し、目を細めて数秒から数10秒間動作を止める。この時、半開きの口中で
 は舌先を口蓋に着けているのが窺える。納得し難い妙な匂いに遭遇した時の、ネコ科
 動物特有の警戒反応らしく、思考停止状態に見えても小さな頭の中で解析を行なって
 いるのらしい。

 嗅いだことのない悪臭を吟味するこの反応は、我が家の猫達に関する限り幼少期にの
 み見られた。飛びぬけて好奇心旺盛でも人間依存が強かったわけでもない2匹だけで
 他の個体には発現せず、尚も初回限定であったということは、学習過程ではあれ知能
 や性格傾向とは関係ないらしい。足指を嗅がれて忘れじの顔をされた飼主としては、
 興がる以上の自嘲に打ちしおれたものだ。

 しかし考えてみると人間も、嬰児のしかめ面というのは1種のフレーメン反応と見做
 していいかも知れない。まぶしさや苦味、また不適切な時に抱かれたりして見せるあ
 の表情は、アルカイック・スマイルとは異なる、知覚刺激への明らかな反応である。
 そうするとオトナにも顔しかめの瞬間がある以上、その顔面下に意識がとぐろを巻い
 ていようとも、意図の瞬間的空白状態に於いてフレーメン反応が成立する可能性は否
 めない。例えば、集合写真で1人だけ白眼を剥いたり口を歪めている者がまさしくそ
 れだろう。彼や彼女はそのシャッターチャンスに、森羅万象の何らかに対してフレー
 メン反応を起こしていたのである。



 実体の歪曲化の好例。自意識はこれを姿なき脱糞にしてしまう。

「ヒトに迷惑かけるんじゃないよ」という親の教えも自発的に効き始める思春期前期、
 この生理現象を他人に憚る自制心が増長を始める。それは必ずしも公徳心ではなく、
 一重に恥という鞭を恐れる小心に過ぎぬ場合が多い。こうして我々は既に無毛のアダ
 ムとイヴであり、前を抑えつつ後ろを締めずには人前に出られなくなるのだ。

 大腸にとって迷惑千万なこの括約筋鍛錬は思春期後期から青年期にかけて増大し、壮
 年期以降も持続する。2重胎児の如くあっちもこっちも見せ合い探査され尽くした相
 手にすら、まるで前科のように秘匿しようとするのである。コルク栓をイメージしな
 がら我慢した局面を持たぬ者は1人もいないだろう。
 殊に女性にとっては鼠径部の構造上、挿入物が間接的に直腸を圧迫している間は油断
 大敵である。切迫して来たら掛け布団を足ではねのけ大きな声でも出すしかない。

 たゆまぬ自戒にも拘らず、生理現象であるからには我慢し通すことは不可能であり、
 予期せぬ時に意図せぬ形でそれは漏出してしまう。カレシやカノジョの前でキラウェ
 アの如く赤面する他愛のないひと時は、めでたくこれを以て終了となる(=屁から出
 た真)。
 こうして実生活に根を下ろした愛は真実の安堵と慣性を歩み始め、中年期にかけ一挙
 に惰性へと弛緩する。かくして厚化粧にマーク・ジェイコブスで歩くおばはんは、今
 日もノン・ブランドのバッグをぶん回しつつブー・ブー・ブーである。戸外での放屁
 こそが実に、人生の自由を謳うのだ。


勃起
 マジック・ショーの原点。手品師と露出狂が男性に多いのはこの為である。
 
 心理学的観点から言えば、現存物を消す視覚操作で知られるデイヴィッド・カッパーフ
 ィールドには去勢願望があると推察される。また脱出芸で知られる引田天功(初代も含
 め)は復活願望(自己顕示欲)に仮託した深甚な自己嫌悪を暗示している。

 物理学的には、自転車用の空気入れが手淫を基に考案されたのを見てもわかる通り、こ
 れは人(男)をして揚力と推力発見の端緒を開いた。19世紀末から航空力学として高
 度に発達し、現代はミサイルの形状、発射の力学、反重力の上昇、白煙の航跡に再現さ
 れており、「Rise,boom‐boom,thenゴー、ジョニー・ゴー、ゴー」
 というおとこ随喜の涙ショーを展開する。
 男子去勢活動家(ホネ抜きタマ潰し)を目指して要らぬ苦労をして来た私も、あの鈍重
 な上昇の数秒間にはつい感動し、「おお、ヘラクレス。がんばれい」と、我知らず涙
 目にならずにはいられない。 

 エネルギーは放出の前に、まず一定量を貯めるものだ。実際、この生理現象は我々に充
 血のポテンシャルをまざまざと見せつけてくれる余興であり、これが頭蓋内で起こった
 場合に思いをいたさせてくれる医科研修でもある。血圧おそるべし。
 その半生に於いて女は毎月出血し男は毎日充血するが、一説によればこれも平均寿命差
 の主因であるらしい。

 犬の交尾で見られるように、ごく稀に人間の場合も膣口が攣縮を起こして抜けなくなる
 不慮の事故が発生する。女にとってこれは拷問だが、男は壊疽の危険に晒される。そん
 な場合は針を刺すといいらしい。心がけのよい女子は、この救急瀉血に備えておさいほ
 うセットを持ち歩いている。これぞ女性の「品格」というものだろう。気の利く女は口
 うるさい配偶者に豹変しがちだが、男はそれで自堕落の淵へ転落せずに済んでいる。



 動物が地面や樹間にしつらえる、邂逅と帰巣の為の便宜、又は動機づけ。
 これは行動範囲の拡大ではなく規定の作為であり、マーキングと定義される。
 人間の場合、やや異常なまでの森林伐採と執拗な地固めを以てこれを造作する。

 むかしむかし、あるところに田中角栄というこぶとりじいさんがいたが、彼は自分を利
 益誘導型の花咲じいさんだと任じていたので、道路造成をこよなく愛した。日中国交回
 復の道筋までもつけ、周恩来と握手してジャイアントパンダを2頭誘導した(因みに後
 年その雌ランランが死んだ時、崇敬していた落語家・三遊亭円生の逝去が畜生に劣る扱
 いを新聞紙面でも受けた為、私は大変なショックを覚え社会の低劣さに目を開かれた。
 じいさんは婉曲的にこの道筋もつけてくれたことになる)。

 作者不詳の俗謡はそれだけで淘汰を勝ち残った珠玉である。「ロンドンデリーの歌」
 「鳥の歌」「千の風」(日本版ではなく)など枚挙にいとまないが、「猫ふんじゃ
 った」同様、「みっちゃんみちみち」も不朽の名作であり、その哲学的弁証の深さは
 前者を遥かに凌ぐ。
 周知のようにみっちゃんは道々排便し、紙がないから手で拭き、もったいないから食べ
 ちゃった。これぞ人間と言わで何と言おう。ショーペンハウエルに聴かせたら随喜の涙
 にかき暮れること請け合いであった。田中のじいさんもピーナッツの拾い食いをして東
 京地検に逮捕された通りである。

 尚、道路とRoadの転音が好吃(ハオチー)の訛りであろう「おいしい」と違い偶然
 ならば、これはまことに稀少な言語学上の69現象として、日本人は英米人と共に寿ぐ
 べきである。何故なら69こそは運命的邂逅、即ちシーザーとクレオパトラ、ロミオと
 ジュリエット、ボニーとクライド、ジョンとヨーコ、矢吹と力石、ビーバス&バットヘ
 ッドの象形なのだ。


メメント・モリ 
 森を忘れるなという警句。

 となりのトトロや森林浴は言うに及ばず、シュヴァルツバルツのヘンゼルとグレーテ
 ルの行く手に何が待つのか、おさおさ忘るなかれということだ。
 また20代の頃は堅くて面白味のなかった森鷗外の著作をひもといてみれば、喪失と
 諦念まみれの中年期にはたまらん味だということ、それならついでにモーリヤック、
 モリエールも読み直してみっかという心境、ああジム・モリソンも最近聴いてねえな
 ドアーズのCDどこだっけ。たまんねーなこの胸毛、やっぱブレイクオンスルー最高、
 げほーオルガンだっさー!という温故知新。あー、あたしゃあの頃はキースよりロン
 ・ウッドが好きだったんだねえ、わかってなかったねえ!という述懐も必要である。
 嗜好性によっては森進一の襟裳岬や森昌子のひゅるりひゅるりららにも耳を傾けるだ
 ろう。そう言や森山直太郎どこ行った(そう言や夏のおわり、が夏のうわぎに聞こえ
 た)。いやお母さんのざわわ、ざわわはいい歌だったけど、どーも男声のファルセッ
 トはね、ビー・ジーズとか催吐剤だねある種。世の中に必要性ないでしょ特に。まー
 火星人撃退には必須か。そーそー「サード」の森下愛子は綺麗なおっぱいだったわ、
 中学の時セブンティーンのモデルだったんだよねえ吉田拓郎も果報者だね。てかセー
 ラ・ロウエルどうしてんのかな。ヨーハイ※出身だったよね確か。一度どっかで見た
 気がするけど気のせいかな、あーシェリーなんつーのもいたね。しかし森光子ご長寿
 の蔭で森本レオがもう67歳だと知り一抹の感慨を覚えた今日であった。軽度の心筋
 梗塞で救急搬送・入院の由。

 ※ヨーハイ … 横須賀アメリカンハイスクール


モテる 
 タイプでない男女やブサイクに恋情を抱かれる状態をモテると言わないのは、そこに当
 然『よりどりみどり』の選択肢が生じないからである。
 財力、知力はおろか人物的魅力さえ有さぬ相手ならば尚更だ。好きになれなければ相性
 もへったくれもない。

 他方、このように安く見られるのは取りも直さず自分が安っぽいからで、これは生恥と
 言うよりないだろう。眼前に差し出された好意に戸惑いを覚える場合は、自己像に修正
 を迫る警告だと受け取った方がいい。対象への嫌悪感が刹那であれ微かであれ、勘とし
 て十中八九正しい。そして未練たらしく残り1割2割の可能性に自分を投じてしまった
 吝嗇が招く損害は、ひと目惚れの撃沈などより遥かに深刻だ。

 自堕落や浮薄、不誠実、卑劣。様々な自己の短所を隠蔽してヒトはヒトに接するが、動
 物的勘とは呼べぬまでも、まるで毛穴から垂れる生糸のようにそれは何処かしら感知で
 きるものだ。たとえそれがなかったとしても、瑣末な言動の流れを検証する事によって
 問題点を容易に追認できるのは、やはりオトナ一般という種族が経験上コミュニケーシ
 ョン術に習熟しているからだろう。
 振込め詐欺もだが、結婚詐欺も予めターゲットは決まっている。引っかかるようなカモ
 が僅少な類型でしかないという事実は取りも直さず、恋愛の基盤が打算であり関係構築
 のプロセスが心理戦以外の何物でもないという証左に他ならない。



散文(批評随筆小説等) サから始まる語義凡例 番外編・ハ〜モ Copyright salco 2010-12-09 21:40:33
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