なんだろう
砂木

盗作するのを見たことがある。
十代の頃 その人は たまたま入った文化部で
たまたま詩集に作品を出す必要にせまられて
それなりに気に入ったものを書き写していた。
非売品の学校の文化祭でだけの詩集で
特に影響のあるものではなかったけれど。
あっけらかんと ああこれがいいと決めていた。
決められたものに間に合わせて 適当にみつくろい
自分の名前を書いて 終わりである。
詩とか書き物に興味がないからできたのであろう。
私は 子供ながら 衝撃を受けた。
友達とふざけながら 実に明るい。罪の意識がない。
詩は自分の言葉を捜すからおもしろいと思うけど
なんの興味も持たない人には 点取りの道具でしかないのだなと
つくづく感じ あれはカンニングだったとも思える。
私は 詩を書くという事は小学生の頃からの楽しみなので
他人の作品に自分の名前を書いて 何がおもしろいのかわからない。
他人でなく自分になるのがおもしろいのに。
しかし 実は子供の頃から本を読んだり漫画やアニメが大好き。
最近は ネットの作品を読むのが楽しみだが いろんなものに
触れていると かなり影響を受けていると思う。
教えられ 覚えたものが自然と言葉にでているのではないか。
影響と盗作の決定的な違いってなんだろう。
読み人知らずとして 作者不詳で作品だけ残ればほんとに本望だけど。
私は残るというより 今がすべてでいいと思ってはいるけれど。
作品を盗作するという事は 作品が盗作者を乗っ取ることでもあるかも。
なにしろ 言葉の方が長生きできる。かもねぎというか ねぎかもというか。
どこかで読んだ視点や言葉で 一生 終わるのかもしれない。
誰にも読めない言語遊戯などといっても 何かを真似ないと
なにひとつ書けないのだと思う。
しかし やる気で盗作して 悲しくないというのは 言葉だけ盗んでも
詩生命は盗めていないという事ではないのか。
詩の源泉を本当に盗めたなら 盗作はできないだろうに。
詩を踏み台にしたつもりで詩に踏み台にされているということか。
発掘と 盗掘の違いってなんだろう。なんだろうなんだろう。
終わらないのでこのへんで終わります。
読んでおつきあいいただいた方 拙文失礼いたしました。
最近のなんだろうを お読み頂きありがとうございます。



散文(批評随筆小説等) なんだろう Copyright 砂木 2010-11-26 22:59:34
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