イッチャの背中
せかいのせなか

 
イッチャは鳥の啼き声をあてるのが上手だった。あれはコサメビタキ、あれはヤブサメ・・・。わたしはそれがどんな鳥なのか知らないままに、イッチャの背中に向かってあやふやな相づちを打つのだった。そして、相づちを打ちすぎたわたしの根気が地面に食い込みそうになるころ、彼はようやくこちらをふりかえって、おしまい、唐突にそう言うのだった。そして、そのときの顔はいつだって例外なくさみしそうだった。

イッチャという呼び名は本名である一柳からきている。ほんとうはヒトツヤナギだけれどみながイチヤナギ、イチヤナギと繰り返すうち、いつのまにかイッチャになった。なに人かわからへんかんじがええねん、とイッチャ自身もまんざらではなさそうだった。

大阪の芸大に通っていたわたしたちは、校舎へとつづくうんざりするほど長い坂道をのぼりながら、あるいは下りながらぽつりぽつりと話をした。鳥の声が聞こえない場所ではイッチャはひどく寡黙だったし、そのころのわたしには湧けども湧けども枯れずといった種類の話題はなかった。会話が途切れて一瞬ぼんやりするたび早足のイッチャに置いていかれそうになりながら、わたしはひょろ長くて薄い彼の背中をいつもみていた。恋愛感情というのではなくって、ただ単純に、このひとはなにをおもしろがって日々生きているんだろう、と、自分自身たいしてなにも考えていないわたしはそういぶかり、いぶかる気持ちがまたじわりじわりとからだじゅうに広がって非論理的な探究心めいたものが呼びおこされ、ご褒美をもらえない子どものように結局彼のうしろをついて歩くのだった。イッチャはイッチャで、べつだん話がはずむわけでもおなじ趣味をもつでもないわたしのことを鬱陶しがることもなく相手をしてくれていた(といっても、ほとんどにおいて彼はただそこにいて黙りこんでいるだけだったが)。いまおもえば、あれはわたしたちなりの時間つぶしの口実だったのかもしれない。

あんたはさあ、焦ってへんからええよ。酒がまわって多少雄弁になったイッチャにはじめてそう言われたとき、ほめられたのかけなされたのかわからなくなって束の間かたまってしまった。ぬるくなったビールのコップが手のひらのなかで薄気味悪く濡れていた。イッチャの目はしらふのときでもとろんと濁っていて、けれどそこに自己愛みたいなものがひとかけらも感じられないことが彼の印象を独特なものにしていた。湖のように澄んではおらず、どちらかといえば沼と形容したほうが適当だったが、そこに浮かぶ水草や木片のひとつひとつにその場所にある必然性とほのかなおかしみがやどっている、そういう目だった。若くて焦ってるやつはどんどん自分みたいなものをつくりあげようとする、ファッションとか好きな芸能人とかさ、自分を何重にも枠にはめてくんやな、名前がついてへんのが怖いからや、そういうことをせえへんからあんたはえらい。あとからまとめるとどうもそういう意味らしかった。それってわたしには自分がないってことなん?そう訊き返すと、イッチャはちゃうちゃう、と言って、でもそれ以上の説明をするのがめんどうくさいという表情をしてビールをぐいっと飲んだ。

結局大学のあいだわたしには恋人ができず、就職活動にもさして熱が入らず、自然と四年間イッチャとばかり過ごすことになった。文芸学科になんて入るからだとのちになって母親はこぼしたが、わたしはあまり気にせず卒業後は京都の実家に舞い戻り、コールセンターや塾講師のアルバイトをしながらなんとなくふわふわと世間をわたっていた。イッチャがなにをしているのかは知らなかったが大阪にいるらしいという噂は聞いていたし、会おうとおもえば電車に乗って一時間とすこしで会える距離なのに、ふしぎと連絡もとらなくなっていった。

二年ほど前に、一度だけイッチャをみかけた。終電まぎわの京阪の駅で、まもなく近畿を台風が直撃するという九月のおわりだった。イッチャは淀屋橋行きのホームに立っていて、あいかわらず沼のような目でとろんと虚空を眺めていた。雨が横殴りにふっていて、線路からホームまで水滴がはねかえってくるような夜で、一杯機嫌でわめき散らすサラリーマンや高校生くらいの男の子たちの群れのなか、でくのぼうのように立っているイッチャの周囲の空気だけがあきらかに重く沈んでいた。彼は、この世のどこにも属していないようにみえた。細身の黒いジーンズのうえでくすんだ濃いオレンジのパーカーが、そのビビッドな色味とは対照的になんの記号にもなっていなかった。そのとき、彼が鳥の名前をあてながら、いつもさみしそうにこちらを振り返った理由がすこしだけわかった気がした。わたしは乗るべき電車まで二十分近くあったにもかかわらず、向かいのホームまで行くことも、彼の携帯に電話することもできなかった。

あれはコサメビタキ、あれはヤブサメ・・・。イッチャ、名前のないイッチャ。やっぱり、わたしもあなたもうまく啼けない鳥なんだ。名前のつけられないあなたの背中を、わたしはいまでもなつかしくおもいだす。


 


自由詩 イッチャの背中 Copyright せかいのせなか 2010-11-21 10:17:28
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