雑居房の英雄
……とある蛙

初めて入れられた留置場の雑居房の 小さな窓から街の灯りがこぼれ落ちる夕暮れ、俺は隣にじっと座っていた随分と顔をくしゃくしゃにして話す爺と暇な時間を潰すために話を始めた。「光り輝く神が此処に居たって、ニューフロンティアを唱える政治家が此処に居たって、俺には関係ありゃしない話だ。俺は俺を無視し続けた世間を見返すために此処にいるんだ」と随分威勢がよい。そうはいっても彼はいわゆる車上荒らしのこそ泥だ。しかも鍵を開ける技も持たず、キーのかけ忘れた車を狙う古典的なこそ泥だ。ところが最近は成功したことがない。リモコンキーでロックが懸かり、ほとんどの高級車はロックされており、彼はほとんど仕事が出来ない。たまたまロックをかけ忘れていた車があったと思い、重いドアを開けたら、中に仮眠中のドライバーがいてそのまま御用だ。間抜けな話でその照れもあるのか わざと捕まったと吹きやがる。ぬぁーにが世間を見返すだ。新聞の片隅にも乗らないちんけなこそ泥の爺だ。世間から無視されていたことは本当だろうから捕まらなければ注目が集められないと思っているようだ。つまり完全犯罪では自分自身は注目されず、行為だけが新聞に出てしまう。これではとてもテレビタレントのようにはゆかないのだ。そんなことは分かりきっているくせに奴は虚勢を張っている。そろそろ面倒見で雑居房から刑事部屋にゆく頃だ。爺は年寄りだから本を読むには目が悪いし、話も合わないだろうかということで刑事がよく面倒をみている。もう一生のほとんどが娑婆と刑務所との行き来に費やされている。それで世間が注目するだろうか?爺は分かっている、誰も振り向いてもくれないことを!今更人を殺そうにも逆に痛い目に遭わされるのが落ちだから、大きな口を叩くだけなのだ。惨めを絵に描いたような生き方だ。でもそんな生き方をしているのは爺だけではあるまい。多かれ少なかれみんな雑居房の囚人だ。ここで惨めにならないコツは仲間内の英雄になることだ。嘘で固めた雑居房の英雄。爺はそんなことすらできないが。塀の内外で似たようなことをして皆生きている。みんな仲間内だけの英雄になって何とか生きていようだ。俺もそんな一人ではあるが。


散文(批評随筆小説等) 雑居房の英雄 Copyright ……とある蛙 2010-11-12 09:59:59
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