きりん草
佐倉 潮

 
 床に落ちたカンバスの上を電線の影が、行ったり来
たり。君はえんじ色のシートにひざを立てて、窓の景
色に見入っている。昼のさなか、大阪から京都へ向か
う各駅停車だから、人の影はまばら。遠慮しなくてい
いはずなのに、長細いシートのはしで身をもたせ合っ
ている、僕ら。
 
 いつでも月から金はあわただしい。一編の詩をゆっ
くりと読む暇も何もありやしない。五日間のふてくさ
れた人生と折り合いを付けるために束の間、電車に乗
る、なんてありふれたやり方。君は窓の外を見ている。
 
       +
 
 岸辺という名の駅を過ぎた頃、はたして川岸でも見
えるのだろうかと、僕は視線を床から持ち上げて、首
を回し、こめかみを窓枠に寄せた。川なんて見えず、
代わりに原っぱのそこかしこには黄色い花の群。
「たくさん咲いてるね。あれは菜の花かな?」
 僕は君に尋ねた。
「菜の花じゃないわ。あれは、きりん草」
 君が僕に答えた。
「きりん草?」と僕。
「そうよ、おかしい人。秋に菜の花だなんて!」そう
言って、大げさに君は笑った。
「秋に菜の花は咲いてないわ」
「そうか」
 そういえば、そうかもしれない。
「きりん草は葉っぱと根っこに毒があるのよ」
「ほんとうかい?」
「ほんとうよ。小学校の時に先生に習ったもの。きり
ん草を触っちゃだめだって」
「ふううん」
「あら、信じてないのね」
「ううん」どっちつかずの返事で答える。僕の頭を、
君がぽんぽんと叩いた。「どっちにしろ」攻撃のあい
ま僕は言った。「僕の小学校の先生は教えてくれなか
った」
「そうかしら」
「そうだよ」
「きっと、あなたがそれを望まなかっただけよ」
「そうかしら?」
 各駅列車が次の駅に止まると思いのほか乗客があっ
た。君はひざを立てることすら止めて、前を向いて座
ってしまい、それきり僕らは、きりん草の話もしなく
なった。
 
       +
 
 月曜の朝、寒いからコートを羽織って外へ出る。空
には薄い曇。あやつり人形のように足を動かして、駐
輪場まで歩いてゆく僕。自転車の前で立ち止まるとフ
ェンスのすぐ脇に、黄色のつぶつぶの花を付けた植物
が生えているのを見つけた。
 
 きりん草。五年間こうして通っているのに気付かな
かったとはね。知れば近づいてくる。草でも人でも、
それは同じことだ。


 今朝、十月を知ったよ。君は、どうしてる? 


 肺に息を入れて、そんな手紙を空に、投函してみる。
 
 
 
 
 
 
 


自由詩 きりん草 Copyright 佐倉 潮 2010-10-13 07:39:30
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