保健室のこと
はるな


ときどき、自分がいままでどうやって生きてきたのか思い出せなくなる。
たとえばそれはセーターを編んでいて、順調に右肩まで編んだところで突然、鈎針の動かしかたを忘れるようなかんじ。右に編むのか左なのか、糸をすくうのか捩るのか、あといくつで次の段になるのか、とにかくもうなにもわからなくなる。それは突然来る。

重要なのは、たぶん、自分自身のやり方に関することだ。わたしが、どのようにわたしをしていたのかだ。他のひとのやり方はあまり参考にならない。
わたしは、崩壊寸前のなにかを、それが何なのかわからないまま必死に保とうとしているきもちになる。物事をそれがあるべき状態に保つことは、常に優先される事項だ。安定(安心)は、すごく重要だ。わたしは崩壊をおそれているし、崩壊するものが何かがわからなくてもそれは同じだ。
しかしわたしの恐怖とは関係なく崩壊は訪れるし、ほとんどの場合わたしはそれをとめられない。わたしはわたしがどうやってわたしをしていたのかを、そのやり方を手放してしまう。気付くのはいつも手放したあとだ。わたしは、わたしのなかに新しい土手をつくらなければならない。わたしをしっかりと保っておけるだけの土手を。

そんな心持ちの前後には、決まって似たような夢をみる。
それは保健室へ行く夢で、保健室は職員室の奥にあり、いつでもせまくて温かい。そこへ行けばわたしはいつでもベッドに横たわる権利がある。わたしは、たいてい泣きながら走ってそこへ行く。保健室へつけばああもう大丈夫だと思いながら目が覚めるのだ。わたしはいつでもベッドに横たわる権利があるのだけど、そうしたことはないようにおもう。
ベッドに横たわりたいのに。わたしの夢なのに。でも、その夢をみれば、わたしの土手はしっかりと固まって、しばらくは通常通りすごすことができる。通常通りっていうのは、つまり、電車のなかで突然はっとして、どうやって呼吸をするんだっけなどと考えなくてもすむってことだ。



散文(批評随筆小説等) 保健室のこと Copyright はるな 2010-10-08 23:45:02
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
日々のこと