イモムシー
キリギリ

まずは画面手前にペラペラと薄く燃える炎。
その奥、薄暗いところで日本兵が中国女を追いかけている。
「まてー」「またないー」。牧歌的で退屈な風景である。鑑賞者は
せいぜい「この男、もうすぐ手足がもげるんだぜ」とニヤつきながら
画面の切り替わりを待つしかない。日本兵の狙いは中国女の性器である。
おそらく手前で燃え盛る炎は男の性欲を表わしているのだろう。
炎の近くでえっちをするのはとても危ないのだから。そして目的は
果たされる。おめでとう。それなのに後日、妻との性交時、女の目が
フラッシュバックして萎えるなんてどんな自己中だ。加害者のトラウマなど
笑止千万。日本男児たるもの己の射精には責任を持って欲しいものだ。
武士道。

コンパクトになった男の帰郷。彼は部外者からは軍神と崇められ
身内からは厄介者として忌避される。だって面倒くさいんだもの。
そうそう妻がいたっチ。石女だから返そうかと思っていた寺島似の
妻が何か知らんけどまだいたから、後は任せて帰りましょ。おーおー
お国のためにーご奉仕ご奉仕。上から下までご奉仕しましょ。っていうか
してね。よろしくね。ついでにメロンパン買ってきて。お前の金で。

と言ったやりとりの後、粗末な家屋に残された未亡人の成り損ないと
益荒男の成れの果て。しかし果てない性欲で夫は妻を抱く。いや腕が
ないから抱けないけどね。なんというか比喩?イメージ?慣用句?
まぁ抱くというか入れるだね。肉ゴマの先端で観音様と握手。

あと何かあったっけ?そうそう最初にダルマさんを見た寺島さんが
「こんなの夫じゃないー」と叫んで家を飛び出し片田舎のあぜ道を
パタパタ走り田んぼを見つけ「あ、ここ入って泥まみれになったら
私ってもっと悲劇的?服が汚れるのも構わずに、それほどにアタシ
悲しいの、的なアピールしちゃう?ねぇしちゃう?」とコースを
変えて田んぼに突入。嫌々追っかけてきた義弟はドン引き。という
シーンがあった。あ、あとクソ田舎在住石女の分際で寺島さん歌上手過ぎ。
なんだあのはっきりした滑舌と安定したメロディは。あらゆる物語は
フィクションだが物語内世界ではあくまでもそれが現実でなければならない。
なのに寺島嬢の歌の上手さが世界を舞台劇めいたフィクションにして
しまった。芸達者だね。てなもんである。

あと生卵はぶつけるためにあるものではありません。煮るか焼くか
しましょう。安直な小道具にしてはいけません。センスが20年前です。
あと同じく20年前のセンスとして取り上げたいのがゲージツ家演じる
知的障害者。そういうのに真実の旗を持たせちゃいけません。フリークスに
どんな期待をしているのか知りませんが、その為だけにわざわざ存在
させられちゃあ熊さんもいい迷惑ですよ。あと時間が余ったからって
変な戦争資料いれるのやめましょうよ。原爆とか戦犯とか物語に関係ないし。

以上。先月観た映画「キャタピラー」の感想でした。こんな映画を見る
お金があったら江戸川乱歩の短編集を買いましょう。「芋虫」に「人間椅子」
さらには「屋根裏の散歩者」まで入っているのがたったの480円ですよ。


散文(批評随筆小説等) イモムシー Copyright キリギリ 2010-09-16 21:09:25
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