温泉街
捨て彦



○登場人物の紹介

竹田雷電(たけだ・らいでん)   ………… チンピラ。火曜日に落雷の超能力が使える。
月谷守(つきたに・まもる)    ………… 職業不詳。現在世界放浪中。月曜日の夜の時を操ることができる。
W・W・トミー(ダブル・ダブル・トミー)… 英語教師。水曜日に洪水を起こすことができる。


○前回までのあらすじ

組を破門されて間もない竹田はチンピラとして暮らしていた。
日常的にデーモンが襲ってくるのをなんとか生き延びている。






まさか水曜日に奇襲を仕掛けてくるとは思わなかった。というのも、既に前日の火曜日にデーモンとの一戦を交えていたからだ。
攻撃があった次の日は休戦する。いつからか、デーモンの攻撃が始まったその頃からこのサイクルは定まっていた。つまりそれはデーモンとおれたち人間との暗黙のルールだった。おれを狙った次の日には、おれに対する攻撃はしない。別の連中を標的にする。今までそういった弱々しくではあるがルールというものが人間とモンスターとの間に出来たとき、それに順応するようにおれの生活スタイルは完成していたのだ。
にもかかわらず、今回デーモンは連チャンでおれにその牙を向いた。丁度おれが、名湯百選に選ばれている地方の温泉宿で足湯に漬かっているときだった。おれがアスファルトジャングルの喧騒をすっかり忘れて夢見心地でいる最中、突如デーモンは空中から襲来し、おれの背中を鋭く恐ろしい爪で引っかいたのである。
湯におれの目の醒めるような鮮血が飛び散った。
「あぎゃァ!」
おれはパニックに陥った。一体何故だ。何故奴らは二日連チャンで襲撃してきたのだ。今まで二日連チャンで攻撃してきた日など一度たりともなかったはずだ。なんでや、なんでや。おれはつぶつぶと小さな声でなんでやを連呼しながら、足湯を飛び出て温泉街を逃げ回った。なんてことだろう。今日は水曜日。無論超能力は使えない。旅館に戻ればこういったときのために密輸した護身用のトカレフがあるのだが、絶望的なことに滞在中の旅館は逃走経路とは間逆に位置する。念のため逃走中、携帯で旅館に連絡を入れてみたが誰も出ない。なるほど、この地方の持ち前の穏やかな気質というのは本当だったのだ。悲しいことだがネットで事前に調べた情報は真実だったのだ。この地方の人間は六に電話も出ないで厨房に集結し皆で四方山に華を咲かせている。その事実を目の当たりにした時、おれは逃走しながら暗澹たる気持ちになった。おれは今、根限り走っているが、いつしか力尽き身内も居ないこの小さな温泉街に倒れ伏してしまうだろう。嗚呼、こんなことならばもう少し吉野家の牛丼を食べておけば良かった。昨日自宅で食べなかった冷蔵庫のナタデココ。肥満を気にせず全力で食べてしまえば良かった。今になってあらゆる後悔が募る。背中からはデーモンに受けた最初の一撃が、思いのほか致命傷だったようで出血が止まらない。なんてこッたいと涙を薄汚れた服の袖でなぶりながら、不図目に留まったのは小さな土産物屋。しかし通常ならば、生き死にの掛かっている現在である。土産物屋など目に入る分けがない。さすればなぜそんな俗物的な物に心奪われたかというと、何も誰かに土産を買おうなどと思ったわけではなく、そこに学生が大挙していたからである。どうやら中学生の修学旅行のようだった。その風景を見ておれは死に物狂いでその群れに駆け寄った。それはほとんど本能ともいうべき行動だった。
案の定居た。ウォーターマンのトミーだ。奴は中学校の英語教師をしている。おれはトミーを大声で呼んだ。
「ト、トミーさん!」
トミーは学生たちに囲まれて、ゲジゲジのストラップを押し付けられていた。トミーは昆虫が何よりも嫌いなのである。トミーはこっちを見ておれの姿を確認したが、日常的に生徒にイジられているその姿をおれに見られたくないのか、すぐに視線を他所にやってしまった。おれはそのトミーの行動に酷くぶちぎれて、奴の浮気相手の名前を大声で何度も叫んだ。学生たちは何事かと一斉に此方を見た。その声を聞いた途端トミーの顔色は一瞬で修羅に変わり、一目散におれの下に飛んできてかつてのボクサー時代の頃の年季の入ったリバーブローをおれの脇腹に深々と突き刺した。おれはゆっくりとその場に倒れこみながら薄れ行く意識の中で、トミーが学生たちに向かって「ドントウォーリー。アイ・ビリーブ。ドンウォーリー」と言うのを聞いた。
そのままおれはどうやらトミーの宿に連れて行かれたようだった。目が覚めるとおれは布団に寝ており、傷もしっかりと治療されていた。そして、そばに正座しているトミーと小林君に気がついた。この小林君というのは中学生だが英語が話せる秀才であり、なおかつ野戦医療にも長けている。出生は全くもって不明であり、おれは幾度となく密偵を送り込み彼の素性を調べようとしたが無駄だった。彼は超能力者ではないが、なぜおれとトミーの間にいるかと言うと、トミーは日本語が話せないからだ。つまり小林君は通訳の役目をしている。これは他の能力者とのコンタクトの際も同様で、つまりトミーと小林君はセットで存在しているのである。
起き上がってまずおれはトミーに対してさきほど浮気相手の名を叫んだことを詫びた。小林君はおそらくまだ童貞なのだろう、詳細を知らずとも分かるうっすらとした大人の会話の中にそこはかとなく香る男女間の桃色事情を嗅ぎ取り、少し頬を桜色に染めた。そして桜色の頬を小さく緩やかに揺らしながら、テキサス訛りの英語でそれをトミーに通訳してくれた。なぜ小林君の英語がテキサス訛りという事をおれが知っているかというと、トミーが再三、小林君がいないときにおれの耳元で、「コバヤシ、イズー、ププッ…。テキサス…」というからだった。そういうときのトミーの顔は、いつも酷く汚らわしいものだった。
トミーはおれの侘びを冷静に受け入れてくれ、おれの傷を気遣った。おれはその心遣いが嬉しかった。そして、それからおれは一通りトミーの気分を盛り上げるため、トミーの近況を聞いたり、生活感のある話題や、ちょっとしたウンチクなどを散りばめたためになる話をし、おれの今まで培ってきた美辞麗句を駆使し、どうにかトミーがおれを襲撃したデーモンの撃退に力を貸してくれるよう尽力した。
トミーの能力は水曜日に発揮される。つまり今日が絶好なのだ。もうそろそろ良い頃合だろうと思い、おれはさっそく本題を切り出した。
「ところでトミー…」
「NO!」
おれはまだ一言も小林君に通訳をしてもらってはいなかった。こういうとき、ひょっとすると実はトミーは今ではすっかり日本語が理解できており、その語感に潜む微妙な機微や空気感をも感じとっているのではないかと疑った。しかし四六時中トミーに付き添っている小林君にいくら聞いても、アノ人は全く分かっていませんよ、というばかりで一向に埒が明かないのである。
仕方がないと思い、おれは財布の中から現金を出した。旅行ということでいつもより多めに現金をもっていた。全部で二百万あった。
「これで如何か」
トミーは小林君になにやら小声で指示を出し、それを聞くと小林君は部屋を出ていった。そうしてトミーはおれの方を見ながらゆっくりと笑顔で頷いた。
それからおれたちは、おれがデーモンに襲われた足湯に戻ってきた。遠くから見てみるとよくは分からなかったが、近くまできて初めて分かった。さきほどのデーモンが足湯に漬かりながら、夢見心地で日頃の喧騒をすっかり忘れるかの如く全力でくつろいでいたのである。おれはそれを見て酷くぶちぎれ髪の毛が逆立った。明確な殺意を自覚した瞬間である。するとトミーがおれを緩やかに制止して前に躍り出た。次の瞬間おれとトミーに小林君が浮き輪を手渡した。
トミーが天に向かって両手を広げ「モーゼダー」と叫ぶと、大地にうずめく全ての水が大きな洪水となって温泉街を飲み込んだ。おれとトミーと小林君は必死になって大洪水を浮き輪で浮かびしのいだ。
それから丸一日ほど経ったか、大方洪水は止み、後には建物の瓦礫とドザエモンが散乱していた。トミーは「だからあんまりやりたくないんだよ」と苦笑しながら小林君を通じておれに言った。
それからおれは丁寧に彼らに感謝をし、分かれた後、近所のホームセンターに行き、縄を購入した。足湯の辺りを死に物狂いで捜索すると、おれを襲ったデーモンが気絶していた。そいつの身体を縄でぐるぐる巻きに縛り、比較的被害の少なかった別の宿にそのデーモンを連れて泊まりなおした。
それから火曜日までをその宿で過ごし、火曜日のアラームが鳴った瞬間に、おれは鬼というよりは鬼神のごとき雷神の感じでもって、その宿もろともデーモンを消し炭にしてから家に帰った。



散文(批評随筆小説等) 温泉街 Copyright 捨て彦 2010-09-04 06:15:05
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