注視
はるな

たくさんの知らない人々と同じ電車に乗る。電車横転せず終点。降車し階段を下りる、42段降り左折のち道路を横断する。夏が四十五度に傾いて立っている。わたしにはわかる。人々は気付かないふりをしている。気付かないふりをし続けた結果、気付かない才能を手に入れる。曲がり角で、男性が手を振っている。それを注視しながら通過する。手を振っている男性は奇妙な顔をし、すぐに怒鳴り始める。わたしは注視しながら通過する。通過し続ける。それよりほかにない。物事はわたしのうえを通過し続ける。わたしもまた、物事のうえを通過し続ける。すり合わせようとすると齟齬が生じる。だからいちいち立ち止まってはいけない。わたしはふと気付く、多くの人間が思い違いをしている。努力すればわかりあうことができると信じている。そのことがすこし世界を悪くしている。わかりあう必要などどこにもないのだ。必要なのは、わからないものを許したり愛したりする才能だ。そのことに、多くの人間が気付いていないように思う。人々は物事を理解しようとしすぎる。そして理解できないと落胆し、絶望し、もっと悪い時には相手を罵倒する。かなしみが増幅する。ブラックホールのように深く茂っていく。そんな黒い物体が、少し人通りの多い通りを歩けば、そこいらに見つかる。わたしはそれを無視できない。それには何か特別な引力がある。逆らいたいな、と思う。だけどできない。たくさんの知らない人々が往復する。おなじ道の上にいる、でも全然何も同じではない。わたしの思考は横転する。薄っぺらいコーヒーを持った女が走ってきて、わたしにぶつかる。ひどく熱いコーヒーが膝にこぼれる。女には才能がある。わたしにはないのかもしれない。わたしはいま奇妙な顔をしているかもしれない。大事なのは許すことだ。受け入れることではなく、より多くを許すことだ。でもそれだって、自分が許されたいがための行為に他ならない。行き場のない人々が往復している。物事はそもそものはじめから矛盾している。どこか遠い場所から清潔なにおいがする。わたしはそのにおいのする場所に近づきたいと思う。だけどそれができない。罵倒されている。思い違いをしている。人々ではない、知らない人々ではなくて、いつも自分の目を通して、自分の姿さえ見えないのだ。何も見えていない。盲目の真昼が降っている。


自由詩 注視 Copyright はるな 2010-08-23 00:18:54
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