女の子のこと
はるな

十八、十九の女の子をみていると、不思議なきもちになる。彼女たちは、何もおそれていないように見える。同時に、何もかもがおっくうだという風に見える。その年頃の女の子たちは、たいてい自分が若いということを知らない。年齢というものが、あるいは歳月がどういうものなのかを、まるで気にしていないように見える。もちろんそう見えるだけで、ほんとうは違うのかもしれないけれど。
わたしもかつてはその年齢の女の子だった。胸や腰はいまより薄くて、楽しいことは今より少なくて、でもそのかわり、恐ろしいものごとも、いまよりも少なかった。せかいが美しくて果てしないことにはうすうす感ずいていたけれど、それはあまりにも遠い場所にあった。遠い場所というか、実在しない場所というか。
物事のさかいめもきっぱりとしていた。たくさんの鎧をもち、自分をすごく意識した。そうすることが重要だったし、そういうふうにふるまうことが当然でもあった。当然というのは、つまり、周りもそういうふうに振舞っているように見えたということだけど。

二十をこえて二三年たつと、女の子はほとんどいなくなる。女のひとになるから。女のひとは、すごく乱暴に分けると、楽しむことを知っているひとと、そうでないひとの二種類がいる。でもたいてい、女のひとっていうのは、楽しむことをしっている。
わたしの周りにはいま、女のひとが増えてきている。彼女たちは強くて、きれいだ。楽しむことをしっているひとはなおさら。彼女たちはおそろしいことを知っている、女性の弱さや強さを知っていて、うすくてきれいな鎧を必要な数使い分ける。クロゼットには何種類ものそれが入っていて、必要に応じて瞬時に変えることができる。いつも重たい鎧をつける必要がなくなったのだ。
女のひとは、女の子たちをかわいいと思ってる。かわいくて、残酷で、はかりしれなくて、でもいつまでも女の子でいれる女がいないって思ってる。
それから、女のひとっていうのは、世界をつくってる。女の子たちは、関係ないじゃんって言いながらせかいを振り回すけど。

わたしのまわりの女の子たちも、たぶんすぐに女のひとになってしまうんだろうなあと思う。そう思うと、うるさくって、らんぼうで、恥知らずで、自分勝手な女の子たちを、すこしかわいそうだなあと思う。
女のひとのほうが楽しみは多いけど、女の子から女のひとになるときに、持っていけないものがたくさんあるから。でもそれに気付くのは、もう自分は女の子じゃないんだなあと思うときだけだから。



散文(批評随筆小説等) 女の子のこと Copyright はるな 2010-08-15 02:05:32
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