salco

8時20分過ぎ
小洒落れた賃貸マンションの前に幼稚園のバスが来て
長男を送り出すと
夫婦はベビーカーを押して通りを渡り、家へ戻る
梅雨明けが発表された翌朝
アスファルトは早くも紫外線を乱反射して
若い父親は道行く中年の女達を指し
ほら、みんな帽子を被っているだろう? 
と、
帽子を厭う1歳半の長女に説得を試みなければならない
長女は帽子よりも本当は
ベビーカーに乗せられていることが気に食わない
かと言って歩きたくもないので
帽子と青空と両親にむかっ腹を立てている
育って行かねばならない厖大な時間と
自由という観念の挟間で、
つまりはベビーカーの上で、
存在することの不如意に早くも煩悶を感じているのだ
何故なら薄明を小さな翼で飛び回る、
かつてこの子も天使であったから
その頃は、どうしたら良いのかわかんないなどという
不条理の苦しみは存在しなかった
そしてむずがる声は論理を組み立てることがまだできず、
愛らしい頭は深呼吸という欺瞞を知らない
腰を若干反らせて後ろを歩く若い妻は
早くも腹に3人目を宿しており
細い脚でけだるい歩みを運びながら、
生活で一杯になった頭は夢見る暇もない
美しかった女は
こうして子を産むたびに乾いて醜くなって行く
骨格の故か労働に心身を侵されもせず、
呑気で我慢強い夫はベビーカーを押して前を歩く
不如意の厖大な時間を、
生活という恐るべき煩瑣にさらされる毎日を。
それが一体何だろう、
どうせ人生はおのれと他人の尻拭いの連続だ
それなら日々3人の子に肉を食わせて服を買い、
いずれは骨を拾ってもらう帰結が正しい


自由詩Copyright salco 2010-08-10 22:47:31
notebook Home