果実について
salco

1、AL PACINO(PEACH)

アル・パチーノは桃が好きだろうか。
あんな、安寧とは永劫縁無しみたいな目を
まるで生まれつきみたいに具えている俳優は。
親指と人差し指で挟んだだけで
テもなくへこんでしまう
幼児の心臓のような、
どんな窓辺で食べても哀しい味のする
果実を食べるのだろうか。
あれ以上どんな目をして?


2、APPLE IN BIBLE

しかしリンゴを齧る時
それは私の歯による復讐である。
何の為に?
歯による歯の為の歯の復讐だ。
りんごヲ齧ルト歯茎カラ血ガ出マセンカ?
しかし私がイヴならば
断然バナナを食べたろうに!
エデンの園にバナナの樹があったなら
歴史上、文学上の観念もすっかり違っていたろうさ
何故ならイヴは蛇まで食ってしまったであろうから
あるいは叩っ切って始末したであろうから。

それが咽仏でなく男根のイメージである時こそ
イノセンスとの訣別、異性との交合、同化と所有の衝動の
終わりなき彷徨の始まりを告げる人類の日蔭道ではないか。
リンゴは余りにも楕円軌道を周回する核弾頭じみており
硬質で、完全で、輝かし過ぎるのだ。
そうだ、
バナナを口の中で切断する時、女はみんな阿部定だ。
けれど桃を食べる時――


3、KISS(ORAL EXCHANGE)

それが幸福への到達手段であるかのように
性は互いの粘膜へ入り込む事を激しく欲求する。
接吻は、触れ合おうとする欲求の最先端行為だ
唇と唇、舌と舌、口腔と口腔、唾液と唾液
誰が相手を吸い尽くす事ができたろう
誰が相手の食道へ入り込む事ができたろう
交合が満たされるためしは無い
理解の深まるためしは無い
所詮、狎れ合いの確認手段でしかないのだ
互いを貪る事もできず、融合も同化もできない
そして何も残らない
何一つ捕まえておく事もできず
過ぎて行くだけ。

洗濯物の山を右から左へ
刹那の満足から刹那の満足へ

何と虚しい事だろう、愛はもっと多くを望むのに。
あるいはもっと些末な永続を望むのに。
人間という動物がもっと高等な幸福に充足できる者であったなら、
接吻も果実も必要とはしない筈だ。
人類は、
アナタとワタシ、アナタとワタシ、のモールス信号を
打電し続けている。
アナタとワタシ、アナタとワタシ、アナタとワタシ・・・


自由詩 果実について Copyright salco 2010-08-07 23:42:34
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