焼かれすぎた胸のフライパン
殿岡秀秋

小学校から家に帰ると
母の店に勤める悦ちゃんが来ている
兄たちは学校からまだ帰らない
今のうちに二人で遊ぼう
きっと楽しい時間になるだろう
ぼくはランドセルを投げだす
悦ちゃんは少年少女世界文学全集の
一冊を読んでいる
呼びかけても生返事しかしない

子ども用の椅子にすわって
背を丸めて
本を読みつづける悦ちゃんのかたわらで
ぼくは畳にすわりこんで
目をあげてくれるのを待つ

一篇の物語を読み終わるまで
悦ちゃんは読みつづけるつもりだろうか
そうだとすると
兄たちが帰ってきてしまう
今すぐに読むのをやめて
ぼくとだけ遊んでほしい

胸は空焼きされるフライパン
ぼくは待ちきれなくて
一度だけ
茶色のウールのスカートの上から膝をゆする
悦ちゃんはぼくを見ないようにして
凍った崖のような顔になって
本の中の蟻を数えている

どのくらいの時が流れたのだろうか
ぼくの胸のフライパンは
焼かれすぎて赤くなり
臭いのある煙をたてる

兄たちはまだ帰らない
母も用事ででかけたままだ

ついに物語を読み終わるまで
悦ちゃんは本から目を離さなかった
不意に立ち上がって隣の部屋にいき
帰り仕度をしてぼくを見ないようにして
店に帰っていく

フライパンの熱がさめるまで
ぼくはぼんやりしている



自由詩 焼かれすぎた胸のフライパン Copyright 殿岡秀秋 2010-08-01 15:20:29
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