うでげ
捨て彦

私は昔から男の腕にもさもさ生えているあの毛が大嫌いなのであって、それは例えどんなに大好きな人のものであっても変わらないのである。しかしだからと言って、極力腕毛の濃い人は避けるとか、付き合ってから濃いことが判明して別れるとか、そういうことはしない。それは本人の人格とは無関係である。腕毛の有る無しによってその人への自分の態度がころころ変わるとかそういうことはない。私はただ、腕毛というものが嫌いなだけなのである。
今も阪神の選手の背番号を着て阿呆面をしながらテレビに釘付けになっている男の腕には、もさもさ、たっぷりとした毛が生えている。私はそれを見ると本能のままに腕毛をむしりとってやりたい衝動に駆られる。好きなように伸びているあの毛を両手で思いっきりむしりとってやりたい。

「なぁ」
「・・・」
「なぁて。」
「なんやねん、今大事なとこや」
「・・・」

男は私が腕毛を嫌いなのを知っている。知っているけれども、私のために剃ったりとか、そういうことはしない。私も別に剃ってほしいとは思わない。私がむしりたくなったときにむしればいいので。
この前男の腕枕で眠っていたら、腕毛がもさもさと私の鼻の頭を触るので、夜中なのに目が覚めてしまった。こんなものごときに安眠を妨げられた。って思って、で、一度気になってしまったら、もうなかなか眠れたものじゃないので、私は一人暗闇の中でイライラしていた。なのに、ふと隣を見ると男は私のことなんか知らないで幸せそうに眠っている。その顔を見た途端にどうにも我慢が出来なくなって、だから私は、私を腕枕していたほうのもさもさの腕毛を両手で思いっきりひっこ抜いてやった。男は声にならない声を上げて飛び起きた。

「なにすんねんっ」
「腹が立ったから抜いたった」
「抜いたったって、おまえ」
「おやすみ」

暗くてよくわからなかったけど、男の腕はものすごく真っ赤だったはずだ。
ざまあみろって感じだ。







「おっさん、もう一杯」
「もうやめときぃや。五杯目やで。」
「うるさいな。はよ汲め」
「あんたそんなに飲めるほうとちゃうやろ。やめときて」
「うー。うるさいなー。汲めっちゅぅてるやろ。タコ坊主。ゆうこと聞け」
「どうもこうもしゃぁないな」

八時だ。時間が。何時やっけ。そうだ。六時半だ。待ち合わせが。
今日は久しぶりに早めに仕事が終わったのだ。終わったと言っていた。五時に。今何時だ、おっさん。

「おっさん、今何時や」
「今?今は八時十分や」

八時だ。時間が。終わったと言っていたのだ。五時に。あの男は。

「馬鹿たれがぁ。ほんまに。何をしとるんじゃあいつはぁ」
「まだ旦那けーへんのか」
「うるさいわい、タコ。」
「おおこわ。」
「それやし、まだ結婚してへんわ」
「おお。そうなんか。そりゃすまんな」
「馬鹿たれがっ」

馬鹿たれが。爪楊枝で馬鹿たれ、と作ろうと思ったけど、数が足りなさそうなのでやめた。周りには人が馬鹿ほどいる。狭い部屋にぎゅうぎゅうと詰まって、今にもはちきれそう。大体季節が悪いと思う。こんなにムシ暑いんだから半袖着るのは当たり前だし、酔っていると、よその人の腕毛が嫌でも目に入る。イライラする。
なんだお前らのそのイィーっとする腕はよう。あー。腹が立ってきた。腹が立った上に更に腹が立ってきた。勢いで六杯目のビールを飲み干した。頭がぐわんぐわんする。うー。もう一杯じゃ。バカタレが。もう帰るか。何時間待つんだ俺は。

「おっさん」
「お。なんや。あっ、もうあかんで。もうあかん。もう飲んだらあかんで。飲まれるで。」
「誰がおかわりゆうた」
「あ、ちゃうんか」
「今何時や」
「今?あんた時間聞くの好きやなぁ。今は八時半や。後ろに時計あるさかい気になったら自分で見ぃ」

八時半か。私にしては大分待った。誰にも文句は言わさん。というか、これは明らかに向こうが悪いので、この怒りはまったくもって正当なものと思われます。よし。帰ろう。帰って寝る。誰がなんと言おうとも寝る。

「おっさん、ほな・・」
「お。なんや、お帰りか。毎度・・、あ、いらっしゃい」

私の後ろからものすごい勢いで腕毛の濃い腕がテーブルにのった。なんかごちゃごちゃと後ろから一生懸命に喋っているみたいだけれども、なんだかもう眠いのであまり聞こえなかった。引っこ抜いてやろうか、とか、そういうことを考えるか考えないかのうちに、私は意識を失った。



散文(批評随筆小説等) うでげ Copyright 捨て彦 2004-10-14 01:51:08
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