洞窟にかける鍵
吉岡ペペロ

おばちゃんに先導されて何気ないビルをエレベーターで五階にあがった
ほそい通路をニ度ほど折れておばちゃんがドアをあけた
そこがコピーショップだった

数分のうちに千元のブランド時計が五百元になった
皆くちぐちに値切るのでふたりのおばちゃんが困り果てたふうを見せていた
シンゴは休憩室のようなところでコピー商品に興味のない連中とタバコを吸った
仕切りのむこう真剣な目をして品定めする者たちを感じながらまたヨシミを思い出していた

ヨシミはブランド品なんて興味がなかった、

それがいとしかった
でもいまこの瞬間、だれかにブランドものを、うつくしい心で、涙なんかうかべて、いま日本は朝の11時だ、こんな中途半端なじかんに、もらって、喜んで

ガイドさん、また、通訳さんいなくなっちゃったよ、休憩室に声がはいった

おばちゃんたちは日本語が達者だ
だからいなくても大丈夫だ
いきなり公安が踏み込んできたら、そんなことはないだろうけど、シンゴはドアの鍵を閉めにいった

お母さんを困らせようとしてチェーンをかけた
オレはちがうけどな、
またヨシミを思い出していた
こんな隙だらけの気持ちのせいだ
今回の通訳がよくいなくなるのは

通訳は戻ってこなかった
シンゴたち一行が歩道にでるとバスのなかで電話しているのが見えた

バスが出発する

電話を終えた通訳がシンゴにのりだしてきた

きょうの夕食の日本料理なんですけど、

予約してなかったのか、

予約してたら、前金で千元いますぐ持って来いって、

皆のまえではもめることが出来ない
それを利用してるつもりだろう
でもシンゴは実際あまり腹が立たなかった
さっきの思考のせいかも知れない、いや、さっき休憩室で聞いた日本の青年社長の話を思い出したからだった

青年社長が座席ちかくの経営者たちに昨夜行った北朝鮮料理店の話を面白おかしくしていた
シンゴが青年社長のところにいって言った

こんやは日本料理でもと考えていたんですが、そこにしましょうか、皆さん好奇心のある方ばかりだから、二日連続になってもかまわないですか、

上海さいごの夜になる
シンゴたち一行は宿泊しているホテルにある北朝鮮料理店にいた

酒をつぎあいキムチや焼肉の野菜包みをつまみながら話していた
現地の日本人経営者の発言がシンゴの耳にはいってきた

これからの日本は、中国の下請け工場になっていくんじゃないかな、

日本が下請け?

コア技術は日本で、それ以外は中国で、そんなふうになっていきますよ、

中国の技術力の向上って、ものすごいんじゃないですか、下請けどころか・・、

そんなこと言ってたら話になりません、追いつかれないよう、日本人ががんばればいいだけです、

日本から来た経営者たちが互いの話をやめていた

皆さんだってそのつもりなんでしょう、皆さんのお客様が、中国の下請けになれるか、それが一番の問題な訳ですから、

なれないとしたら、社長みたいに、中国で商売しなければならないってことですか、

それはこれから、皆さんでゆっくり考えればいいんです、とりあえず今回のツアーが第一歩です、

シンゴたち一行は今回現地の日本人経営者にアテンドしてもらって四社の中国企業を視察していた
ある者は腰を抜かし、ある者はまだまだだと言い、ある者は一緒に仕事がしたいと言った

オレの仕事にしてもそうだ

中国人観光客をいかにして取り込むのか、中国の旅行会社のお手伝いをしながら小銭を稼ぐのか、まだまだいろんな問題はあるが、将来直接やってゆくのか、そうなれば日本だけが観光先という訳にはいかなくなる、いや、やはり観光先としての日本に磨きをかけてゆかなければ、中国人旅行客のニーズに合致した企画を立てて、富士山まわりの温泉地なんて中国人だらけだ、それを嫌がる連中も多い、たとえば北陸なんてどうだろう・・・・、

水いろのチョゴリを身にまとったウェイトレスたちが酒や料理を運び灰皿を替え写真をとられていた
彼女たちの手で皿がテーブルに置かれるのを見つめながらシンゴはヨシミのちいさな手を思い出した
青年社長がどうです?と聞いてきた

手がきれいでしょう、

見てたのばれた?

手に目がうつってましたよ、

きれいな手だよ、カプサイシン効果かな、それに、彼女たちっていたいけというか、

欲望が抑圧されてるからだと思うんです、

欲望?抑圧?

欲望を抑えて暮らしてるひとたちって、なんかどこか清まってる感じしません?

ああ、なるほど、シンゴはヨシミと一緒になれなかったと思った

足るを知るっていうんでしょうか、・・・・でも、皆さんが楽しそうでよかった、

この店は北朝鮮国営で中国にしかないのだそうだ
とくに有名なのが北京の店と上海にあるこの店だという
北朝鮮の国策で自国の良さを中国人にもっと知って貰おうということらしい
バスのなかで通訳がマイクを持って

きょうは皆さん朝から偽物ショップでしょ、夜は北朝鮮料理、あした日本に帰れないかもね、と軽口をたたいた

中国人はビザいりませんから、あたしのお父さんお母さんたちの世代は、北朝鮮に旅行いきたいってひと多いんですよ、毛沢東世代のひとたちは、北朝鮮に三十年まえの中国を思い出すんですね、

テーブルサービスをしてくれていた女の子たちがいつの間にか舞台にあがっていた
ウェイトレスたちによるショータイムが始まるのだ
水いろのチョゴリにベースギターやアコーディオンをまとい、エレクトーン、ドラムも各ひとり、それぞれがボーカルもこなす

高く澄んだ歌声、コントロールされた体の動きや視線、表情を見ているうちに中学生のような気持ちになった
それはシンゴだけではないようだ
手拍子や写真を撮ったりしながら皆なにも喋らなくなっていた

水いろのチョゴリをなびかせて五人が単純な風のような踊りを舞っていた
ヨシミを思い出していた
いつもより肉のレベルで思い出していた
大人のエロさでではなかった
もっと遠くてもっと稚拙だった

喜び組と呼ばれる彼女たちが、訓練され、洗練された歌唱や演奏を披露しているのは、自国のイメージアップのためだ
そこにシンゴたち一行がじぶんのなかのなにかを重ねていた
となりの経営者がシンゴに百元札をいちまい渡して

チップを渡して来てくれませんか、と頼んできた

せっかくだから、ご自分でお渡ししてきたらどうです、シンゴは渡すのがいやだった

でも仕方がない、やるとすっか、

シンゴは立ち上がって百元札を舞台に差し出した
歌目線の女の子がやわらかく張った手の平でそれをそっと押しかえした
さいごの電話を思い出した

シンゴがよろけるように席へと戻るのを皆が笑いながらむかえていた

こいつらもブランドもんとか、興味ないんだろうな、

シンゴたち一行がショーを見つめる
じぶんのなかのなにかを重ねている
ヨシミと歩いたさいごの夜を思い出す

みんな宇宙のものまねしてるんだ、ものまねしてるだけなんだ、

もうなん万回も繰り返したヨシミの声をシンゴはまたあたらしくひとつ繰り返した

みんな宇宙のものまねしてるんだ、ものまねしてるだけなんだ、

それは音のないこだまのように洞窟に響いた

上海で北朝鮮にふれている日本人
中国企業の視察もするし偽物ショップでは値切る
彼女たちにチップを渡すことはできなかった
舞台の天井、黄、緑、赤、青の光を明滅させながら回転するミラーボール
中学生のころ女の子に告白なんてできなかった
ヨシミのことすべてがいまこの店につまっているような気がした

ヨシミの宇宙には、ブランドもんのものまねなんかなかったな、

ほんものをだれかにもらって、いまこの瞬間、うつくしい心で、涙なんかうかべて、いま日本は夜の9時だ、こんなじかんなら、もらって、喜んで

この娘と写真とってよ、つぎオレ、わたしもお願いします、ショーが終わったようだ
ウェイトレスに戻った女の子たちが、はにかんだり、すましたりしながら、シンゴの押すカメラにおさまっていった
経営者たちに声をかけてもらえなかったら洞窟の鍵はかからなかった




自由詩 洞窟にかける鍵 Copyright 吉岡ペペロ 2010-07-20 00:21:24
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