黎明
salco

 狂女の独白

いつもそれは夕刻よりも暗い夜明け
一日は、東の地底で死んだ胎児のように
いつ迄も、紫色の胎盤にまみれて
暗黒の硬い産道に引っかかっている
胎児の頸には硝子のつららが刺さっているから
だからあたしは不安で電灯を消す事が出来ない
このホルマリン霞みの長い廊下に一人で
産褥の母親達の呻き声に耐えて
こうして座って待つ事は出来ない

気のふれた、若い母親が叫んでいる
真っ黒な血まみれの死産児を産み落とそうとしている
光の破片が全身に刺さって死んだ
哀れなみどり児を今日も再た
ああ、ああ、母親の叫び声が聞こえる
癲狂院の一隅で、再た今日も赤ん坊を産み落とす
億年間の毎日の性交の堆積を
毎日の受精の代償を
こうして億年間も積みつづけ、払いつづけている

夕刻よりも暗い夜明け
太陽の所在の無いそれは、いつもあたしを怯えさせる
その日毎に新しい赤ん坊は
失血し、青黒い傷口をいくつも開けて
気難しい老人の顔をしている
その無残な小さな骸はあちこちの路上に放置され
ああやっと夕刻、
黄金寺おうごんでらに洗い清められ、葬られるのだ
一日は、白昼は、
外は彼等のささやかな死臭で一杯だ



 妊婦

夢を孕んだ女はこうして十年と十月産褥に在り
人工中絶と死産を繰り返している
丹念に手を洗った医師はこうして胎児を今日も掻き出して
丹念に手を洗い、サンダル履きの足音で廊下を遠ざかる
 あたしの子はひょっとして、
女は狂った頭で考える
 今、学校から走って帰って来るところじゃないかしら。
 小学3年生のお前にお母さんはおかえりと言うだろう。
 でも何故よその家に入って行ってしまうのよ、お前は。
夢を流した女はこうして天井へか細い手を伸ばし
眼前を掠めて消えた子を抱きしめる
これはなあに、これはなあにとうるさく問うて来た子は
すっかり黙り込んでどこかへ行ってしまった

 でもさ。
女は生爪を剥がしながらさまよう視線でひとりごちる
 あたしは確かに産声を聞いたわよ?
 出て来た血と膿をさ、さらさらと温かく脚の間に感じた時に
 ああ、苦労が報われたと思わなかった?
 だってあんなに膨らんでいたお腹がぺしゃんこになったでしょう、
 それで両足がここから見えた時に
 確かなものを解き放ったのだという達成感が湧き上がって
 この部屋いっぱいに響き渡ったわよ?
 押し上げてさ、口を溢れて吐瀉物はだから床に流れて、
 ほらこの手。
 この空っぽな手。ね? 何も無いでしょうが。
開いた掌からばらばらと臍の緒が落ちて女の顔を打つ
まるで小枝のような音がする
 雨だ。
すると女の腹は雨を感じて膨らんで行く
まるで花の蕾のようである
口を大きく開けると、多幸感に女はけらけらと笑い出し
その産声は病院いっぱいに響き渡る
白い光は満ち満ちて
すると女の目は溶け出して行く
過去を離れ、存在のない未来へ未来へと漂い出て行く


自由詩 黎明 Copyright salco 2010-07-19 02:58:46
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