自由詩がもし不自由詩だったら
小池房枝
その現代詩、セルダムイリーガル
なんてちょっと格好いいじゃん
自由詩に
もし決まりとか約束事とかがあるなら
張り切ってぎりぎりを狙うよ
NGワードがあるなら別の言葉をさがす
使われてしかるべき言葉があるなら
さりげなくとんでもない文脈で使ってみせよう
うまくかいくぐって遊ぶつもりが
ひっかかって盛大にぶっ倒れても
今この国ではそれで命までとられはしない
自分のまいた種で自分が痛い目にあったところで
何の不足があるものか
本当に本当に自由に書いてしまったら
それは自分語だ
本当に本当に誰かに何か伝えたいなら
アスキーアートであれ
嗅覚言語であれ
その誰かとの暗号か共通ワードを使わなければならない
相手をけむにまきたい時だって
理解不能を強いるためには
理解のための約束事を駆使しなくてはならないし
たとえば俳句だったり短歌だったりしたら
とりあえず今の日本語ではそれを自由詩とは呼ばないんだよって
そんな習慣も
その逆も
それを不自由と思うかどうか
それも自由のうちだ
伝える伝えない伝わらないにしたって
そんなのどうでもいいって思うことも
書きたければ書きたいうちは書いてみるしかない
自由詩がもし
不自由詩だったとしても