晴れたら金の鈴
照留 セレン
晴れたら金の鈴 照留セレン
ベランダに、てるてる坊主が落ちていた。
古シャツの端切れで綿をくるんで作った顔に、点の目とにっこり笑った口が書いてある。多分先週の、長雨のときに作ったものだ。少し汚れている。
何となく気の毒に思って、物干し竿にくくりつけることにした。これできっと、落ちないはずだ。
前線が東に行ってしまったらしく、今日の空は綺麗に晴れている。羊の群れみたいな雲が浮かんでいる。のどかだ。
私は部屋の中に戻り、布団を取ってきた。干そう。最近じめっとしてたせいか、何となく夢見が悪かったのだ。今日こそ、ふかふかの布団で眠れる。
重い綿布団をベランダの柵にかけると、ひと仕事終えた気分になった。
今日はバイトも大学も休みだ。ぐっと背伸びをしながら、何をするか考える。近所のショッピングモールに行こうか。新しい傘がほしい。
私は財布やハンカチを入れたトートバッグを持って、部屋を出た。
ずるっ、ずるっ。
ドアを開けると、何かを引きずる音が聞こえた。
私は薄暗い部屋の奥、ベランダの方を見つめた。人影が見える。
私は1人暮らしだ。
それなのに、部屋に誰かがいる。泥棒だろうか。それにしては小さい。
人影は、窓に手をかけた。鍵をかけ忘れたのだろうか、窓はすっと開いた。人影は何か大きいものを引きずりながら、向かってくる。――布団だ。布団を引きずっていた。
私は部屋の照明をつけた。人影の顔が見える。驚いた表情で、こっちを見ている。
子供だ。フード付きの、白いレインコートのような服を着ている。
自分が引きずった布団に躓いて、ぽてっとこけた。
レインコートのフードが外れて、おかっぱの頭が見える。
「えっと……拾ってくれて有難うございました」
起き上がりながら、子供はそう言った。
10歳くらいだろうか。くりっとした目の、可愛い子供だった。
でも、子供を、拾う?
私には子供を養うような経済力はない。まだ20代。彼氏はいない。橋の下の子供を拾ってくることも、孤児院から子供を引き取ることもない。全く、身に覚えがない。頭の中がぐるぐるする。
私は震える声で、やっとこれだけ言った。
「君、どこの子?」
「あっちにいたの」
子供はベランダを指さした。
よく見ると、今朝拾って物干し竿に吊しておいたてるてる坊主が、紐ごと無くなっている。
私は質問を変えた。何てことだ。でも、
「君、てるてる坊主?」
頭大丈夫? と聞かれてもおかしくない質問だったが、子供はしっかりうなずいた。
てるてる坊主、というのもあんまりなので、「てーちゃん」と呼ぶことにした。
てーちゃんは女の子だった。
坊主なのに女の子。不思議に思ったが、てるてる坊主は元々ほうきを持った娘さんの人形だったらしいから、特に不思議でもないのかもしれない。
てーちゃんは朝になると現れて、洗濯物を干すのを手伝ってくれる。それ以外の時はどうしているのかと思ったら、てるてる坊主の姿で物干し竿にぶら下がって風に揺られていた。紐はどうやって頑張ったのか、しっかり物干し竿に巻き付いている。
夕方になると、洗濯物を取り込むのを手伝ってくれた。雨が降りそうなときは、私がいなくても取り込んでおいてくれる。いい子だ。
そろそろ、てーちゃんが最初に現れてから1週間が経つ。「思い出して拾ったから」という理由だけで、ずっと手伝ってもらっているのは悪い気がしてきた。ちょっとお礼をしようと思って、洗濯物を干しているてーちゃんに声を掛けた。
「てーちゃん、干し終わったらちょっと待ってて」
てーちゃんは怪訝そうな顔をしながら、首をかしげる。
私は台所で、2人分のココアを作った。
ココアの粉を牛乳でよく練り、砂糖を加えて、少しずつ牛乳を加えながら温める。お湯を注ぐだけの作り方もあるけど、ココアはやっぱりゆっくり作るのがおいしいと思う。
マグカップに入れて差し出すと、てーちゃんはそれをじっと見つめた。
「ココア。美味しいよ」
ひと口飲んでみせると、てーちゃんは恐る恐る口をつけた。その顔がぱっと明るくなる。マグカップを持ったまま目をきらきらさせて、しばらく固まっていた。嬉しそうにひと口、またひと口。
ふと、てるてる坊主が飲んだココアはどうなるのかと思ったが、考えないことにした。
ココアを飲み終えたてーちゃんは、マグカップを置いて頭を下げた。
「有難うございます」
「いいよいいよ、お礼だもん」
「お礼のお礼って」
てーちゃんは何度も瞬いて、私の顔を見上げる。戸惑っているようだ。
――思い出して拾ってもらえるてるてる坊主は少ないんです。そのまま忘れられてどこかに飛ばされたり、ゴミになったり。拾って吊して頂けるなんて、本当に滅多にないことなんです。
てーちゃんはそう言った。
最近、晴れの日が多くなった。
本当なら、金の鈴をあげるべきなんだろうな。私は童謡を思い出した。
大学の講義が終わると、私はいつも親友の椿ちゃんと帰る。
今日の空はすっきり晴れている。夕日はとっくに沈んでしまって、西の空に桃色の名残があるだけだ。
「最近晴れが多いね」
椿ちゃんが空を見上げながら、言う。
「知ってる? てるてる坊主って、人身御供の代わりなんだって」
ネットで見たの、と、椿ちゃんは言った。
自分が生け贄になって、雨を止ませるのだとか。
私は複雑な気分で空を見た。
帰宅すると、てーちゃんはいつものように、洗濯物干しを手伝いに来る。
「てーちゃん、これ済んだらココア飲もう」
「はいっ」
てーちゃんはすっかりココアを気に入ったらしい。嬉しそうに笑っている。
他のてるてる坊主も、子供の姿なのだろうか。
遠い昔、生け贄にされたのは、子供だったのだろうか。
「てーちゃん」
「どうしたんですか?」
「何でもないよ」
てーちゃんの頭を撫でて言う。不安げな目が私を見つめていた。
私が変なことを考えてるから、てーちゃんにまで暗い気持ちが伝わってしまったのかもしれない。
「何でもないよ」
私はもう一度そう言って、ココアを出した。
空には雲ひとつない。
私の部屋がある町の空気が綺麗ではないから、星はぽちぽちと見えているだけだ。
「明日も晴れるといいね」
私はベランダの方を見て言った。
明日は、朝から椿ちゃんと出かけることになっている。
遊園地の新アトラクションはすごく混むらしいから、早く行って並ぶことにしたのだ。
「そうですね」
てーちゃんはココアを飲んで笑った。
いつもの、美味しそうな笑顔だった。
次の日、朝は暗かった。どこから湧いて出たのか、綿ぼこりのような黒い雲がもこもこと空を覆っている。
雨かもしれない、と思いながら出かける準備をしていると、携帯電話がぴろぴろと鳴った。メールだ。椿ちゃんからだった。
――あと5分くらいで、そっちに着きます。下で待ってるね。
私は手短に返事を書いた。
――了解っ
風が冷たかったので、カーディガンを羽織る。一応折りたたみ傘も準備した。今は時間がないから、洗濯は夜にしよう。
携帯電話が鳴る。
――着いたよー
――今降りる
私はアパートの階段を駆け下りた。
私に気づいた椿ちゃんが、にこっと笑って手を振る。そして空を見上げて、
「ちょっと雲行き怪しいね」
「うん」
私は生返事をしながら、自分の部屋のベランダを見た。
てーちゃんも、空を見ていた。
さっきまで雨が降り出しそうだったのに、遊園地に着くと急に晴れだした。
黒雲は何処へ行ったのだろう。空には真っ白い雲がのんびり浮かんでいるだけだ。
椿ちゃんと2人で絶叫マシーンを制覇して、もちろん新アトラクションにも乗った。しっかり満喫して、すっかり疲れて家に帰った。
ベランダに、てるてる坊主が落ちていた。
点の目と、にっこり笑った口。
古シャツの端切れで作った体は、あちこちほつれている。吊す紐は、結び目の近くで切れていた。
洗濯物は、いつの間にか干してあった。干しっぱなしになっていた。
「てーちゃん」
私はてるてる坊主を拾い上げた。てるてる坊主のぼろぼろの顔は、何も見ていないようだ。笑顔を向ける相手もなく、ただ笑っているだけのようだ。
「またココア飲みにおいでよ」
てるてる坊主はくたっと首を垂れた。
今度出かけたら、金の鈴を買って帰ろう。