歯車
佐藤伊織

バイトの面接にいった。それだけで脳から鉄の匂いと鉄の味がするくらい疲れた。実際今もさびついた鉄の歯車が俺の脳内をギシギシいいながら回っている。そういえば俺は今生きてるだけで疲れているのだった。みんな軽々と乗り越えていくようにみえる障害の一個一個に俺はつまづいてしまう。つまづくたびに涙をポロポロと流す。俺はしくしくと泣くものだ。みんなどこかへ行ってしまう。誰も振り返りはしない。力強く伸び伸びと息をする。恐いものや未知のものへも果敢に挑戦していく。俺がただ不安でしくしくと泣いている横で着実に一歩一歩歩いていく。俺のさびついた歯車はもう限界にきているかもしれない。廻すのもさすがにもう疲れた。そして俺の歯車はただ回っただけだった。どこへも進んでいかなかった。どこへも行くことはなかった。知っていることは、人間は何もしなくても時はたつということだ。人間はどの瞬間にも次の瞬間には死んでいるかもしれない存在だということだ。俺はただ生きて、そして死ななかった人生だ。

これだけ神に質問したい。俺に子供がいないのは俺が大人になれなかったというそれだけのことなのか?日本全体の少子化も大人になれない子供の増加と関係しているのか?俺はそのような時代の子供の一人か?神の目からは俺はそのような時代の子供の一人か?俺は子供は欲しくないと思っていた。俺のような子供を一人でも世界に作りたくなかった。俺は俺の連鎖を断ち切りたかった。しかし、そもそも俺の意志とは全く微塵も関係なく、俺には子供を作る資格と環境がそもそもない、子供を作るに値しない存在だったということだろうか。そのような意味で神は俺の望みをかなえたのか?神に感謝すべきか?

世界は俺には全く理解不可能だ。知れば知るほど俺は不安になる。知れば知るほど涙もろくなっていく。そして俺の脳内には何も残らない。さび付いた歯車を残して。


自由詩 歯車 Copyright 佐藤伊織 2010-07-03 22:22:38
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