修善寺狂想
殿岡秀秋

狩野川台風で橋が落ちたために
駅からタクシーで大まわりして
修善寺温泉街にはいった
九歳のぼくは父と母に連れられて
和風の大きな旅館にはいる

玄関をあがるとすぐに大きな池がある
池の周りを林と日本建築が囲んでいる
台風で倒された木が逆さに落ちて
根っこを髪にした仙人が池に立つ

千住神社にあるのと似た能舞台が
池の水につかって
鶴の脚を立てている

緋鯉や真鯉が
青緑の水の中を
悠然と泳いでいる

ぼくは別世界にきた

部屋へとおされると
どのお風呂にはいってもいいといわれて
ぼくは手ぬぐいをもって
池にそった長い廊下を走る
ひとりで内風呂や露天風呂にはいっては
部屋にもどって父母がいるのを確かめてから
また別の風呂にいった

露天風呂の欄干にもたれて池をみる
楽しければ楽しいほど
ひとつの悲しみが
池に波紋をひろげる

ぼくはふざけて叔父と接吻したことがある
六歳のときだ
時がたつにつれてそのことが
唇に菌が糸をのばしていくようにしみこんでくる
気がして
気持ちわるくて
唇をとり変えたいと願う

普段は忘れているのに
楽しいときがあると
ぼくを罰しようとするのか
その想いが浮かぶ

今すぐにできない
時が経っても
取り替える唇が存在しないだろう
ぼくが大きくなるころには
整形手術が発達して
可能になるだろうかと期待する
しかしとても無理ではないかと
考えれば
考えるほど苦しくなる

自分の唇を切り取って
新しい唇に変えたい
という願いが
肌色の鯉になって泳ぎだす

池から空に
肌色の鯉がのぼろうとする
浮きあがっては池に落ち
またのぼりだす
そして
池の上に浮かんで鰓から血を流す
ふくれた唇の端が切れたように血が垂れる
肌色の鯉が真っ赤に染まる

大人になって再び修善寺を訪ねる
長い廊下から
能舞台へ向かう
池の上の渡り廊下には
仕切りがあって
立ち入り禁止になっているが
横からすりぬけて
雨風に色のあせた
重そうな板戸をあけようとする

おもいのほか
簡単にひらいて
午後の光が舞台をてらす
そこに不動明王のように顔を強張らせて
亡くなった母が立つ

唇はこのままでいい
しかし
ぼくが楽しみだすと
安らぐことのないように
いやなことを想いださせる邪鬼はまだ
母の足元にうずくまっている















自由詩 修善寺狂想 Copyright 殿岡秀秋 2010-07-03 10:35:26
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