喫煙のこと
はるな


六年半続いた喫煙の習慣を、いったん中止して、二週間め。やはりというか、さっそく体重は1000グラムふえた。

喫煙は、最初から違和感がなかった。むせて苦しいこともなかったし、匂いに顔しかめることも、喫煙をはじめた自分にとまどうこともなかった。わたしの家族で、喫煙の習慣があるひとは他にいなかったけれど。
横須賀にすむ祖父は愛煙家だった。孫のわたしのまえでは、そう頻繁には吸わなかったけれど。胸ポケットがきちんとした四角にうきあがった祖父の胸。それから、一年に一度会うか会わないかの、母親方の叔父もよくたばこを吸った。彼が吸っていたのは赤い箱のラークで、その叔父と顔をあわせるのは母の実家だったのだが、そこでは叔父のまえにはいつもガラス製のおおきな灰皿があった。おおきな、透明な、どっしりとした。それを触るとあぶないと叱られた。それから、恋人もたばこを吸う。空気のようにそれを吸う。わたしはたばこを吸ったあとの、恋人の右の人差し指と中指のにおいをかぐのがとてもすきだ。

喫煙をやめるのには、喫煙をはじめたのと同じくらいに理由がない。ただ売っているからと吸い始めた喫煙が、すぐに習慣になり、そしてこんどはとくに吸う必要もなくやめてゆく。
なにかをはじめたり、やめたりするときに、表立った理由がみつからないというのは、一番よい理由のように思える。なぜだかわからないけれど、それをする必要がある(あるいはする必要がない)と感じること。

愛煙家だった件の祖父は、わたしが13のころに死んだ。病気で、わたしの自宅で。父が祖父母を家に呼んで、さいごを自宅で看取った。そのころ、帰宅部だったわたしは、共働きの両親と、受験勉強で忙しい妹と比べて、家族ではいちばん時間の融通がきいた。学校からかえると祖父の寝ている部屋で過ごしていた。
祖父はよくわたしにたばこをせがんだ。わたしは三回に一回程度の割合で、それをわたした。そうすると祖父は、はるなは優しいなあと喜んで、ゆっくりとたばこを吸った。わたし以外の家族に、祖父がたばこをせがむところを見たことはない。父親がたばこを処分しているところをみたことはある。それでもわたしは祖父にたばこをときたまわたした。離れてくらしていたから、祖父のことは、特別好きでも嫌いでもなかった。家族よりはすこし遠いところに祖父母は位置付いていた。でも、死期のちかい祖父のそばは、なぜか過ごしやすかったようにおもう。

たばこをやめたと恋人にいったら、そう。と言い、すこし経ってから、おれはお前のたばこ吸う姿、わりかしすきだったよと言う。うまそうに吸うよなあ。と。
わたしもそう思う。たばこをやめるまでは、たばこをやめることがあるなどと、思いもよらなかったから。何事も、そういうふうにして、思いがけないタイミングで終わったり、はじまったりする。



散文(批評随筆小説等) 喫煙のこと Copyright はるな 2010-06-22 01:03:21
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