六月にはなにも書けない
ホロウ・シカエルボク





六月にはなにも書けない
上昇し続ける温度と
いつでも雨を隠しているような
湿度に
脅かされて
六月にはなにも書くことが出来ない
消化出来ないものを胸の内に抱えて
俺は
首輪のキツい飼犬のようにイライラしている
吠えても吠えてもなくならない
そんな人生を選んだ
てめえの責任だと片付けてしまえば
スッキリはするけど楽にはなれない
六月にはなにも書けない
汗ばむ季節は手元を汚すから
なにかを書き始めるような真似はしたくない
だけど
なにかを書いてしまわなければ
たとえば
無為に過ごした休日の後なんかは
カンの虫がオーケストレイションで
頭蓋のまずい音響施設の中でこれでもかと掻き鳴らす
アンサンブルについて考えてくれ
いくらそれが心情吐露だと言っても
ただただぶちまけるだけじゃあ見苦しくって仕方がないぜ
六月にはなにも書けない
六月にはなにも書きたくはない
こんなジメついた日に
ワードを開いているなんてバカみたい
俺は今夜の眠りについて考える
このところ殺したり
殺しかけたりする夢ばかり見ていて
小さいけど面倒な用事を抱えてるみたいな
目覚めばかりが続いてる
まるで将来的な逃亡者のような気分で
明日も俺は枕から頭を持ち上げるだろう
六月にはなにも書けない
書かなきゃいけないものがいくつか待っていたりするけれど
少なくとも今日のところはなにも書きたくはない
だいたい
なんで俺は
こんなものに手を染めているんだ?
小窓からかすかに入り込む風は
わりとまっとうな涼しさをまだ持っているけれど
明かりを消さなきゃ大した効き目はない
何度も水を飲むから
何度も汗が滲む
何のためにそんなことしているのか判らなくなるけれど
生き残ってきたものは多かれ少なかれそんなことをし続けているのだなとふと思った
そこにどんな違和感を持とうが
喉が渇いたなら潤すよりほかにするべきことはないのだ
それは生態的なシステムというようなもので
そういう仕組みになっているからどんな理屈をつけたところで変わりはしないのだ

ここで一度手を止めて
俺はキッチンに水を飲みに行く
喉が渇く話を書いていたら
喉が渇いていたことに気付いたのだ
まるでビールを飲んでいるみたいに喉笛は呻いた
俺は水を飲むことについてもう少し考えて
行数をかなり稼ごうと目論んでいる
まだ満足出来る分量じゃない
書き始めたんなら満足出来るまでやらなきゃいけない
喉が渇いたのなら潤うまで流しこんでやらなきゃいけない
思えばそれをやらなきゃ死ぬみたいな
そんな言い回しをしてた頃もあったかもななんて
恥ずかしくなって頬を赤らめる
必然や偶然について熱くなって語ることくらい
書いてるものにとって恥ずかしいことはないのだ
本当は
躍起になってるってことは
まだストライクが取れないぐらいの腕だってことさ
六月にはなにも書けない
だいたいが同じ姿勢で長く座ってることすら出来ないのに
そのうえだらだらと書いたりすることなんかやりたいと思うわけがない
膝の裏に溜まる生温い汗ほどに
人間をいらだたせるものはない
なのになぜ
なにを俺は意地になっている
納得して眠りたいのか?
たかだか一〇〇〇や二〇〇〇の文字で
俺の今日の負債はすべて返せるのか?
所詮はそんなもんさ
どんなに御託を並べたって
死ぬまで終わったりするようなもんじゃない
喉が乾いたら水を飲むのさ
それ以上のことは考えたって仕方がない
コンピューターに不慣れなものが
コンピューター言語について考えるようなものだ
さっき飲んだ水がまた汗に変わる
俺はワードの前に座ってイライラしている
なんども
姿勢を変えながら
俺から滲みでた汗はどこへ消えていくのだろう
汗なんか全部腎臓に集めて
小便にして出すことが出来たらいいのに
もともと便所が近いタチなので
もう数回増えるくらいなんの問題もないってもんだぜ
六月はなにも書けない
六月はなにも書く気がしない
無理して書いたところで
水と
小便についての詩みたいなもんになるのが関の山なのさ








自由詩 六月にはなにも書けない Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-06-07 01:18:58
notebook Home 戻る  過去 未来