大好きな詩人を紹介してみます 『処女懐胎』ブルトン—エリュアール
非在の虹
二つの日のあいだのある一日、そしていつものように、星のない夜という夜はなく、女の長い腹が、それは小石だ、ただ眼にうつるもの、ただ真実なものが、瀑布のなかをのぼってくる。
『処女懐胎』 ブルトン―エリュアール 服部伸六訳
まだ二十歳にならないぼくは、むしょうに詩が書きたかったようなのです。
そこで学校でならった詩の書き方を思い出していました。
それはまずテーマを決める、というものでしたが、これには困ってしまいました。
おそらく、詩をかくという行為にあこがれていただけで、何をどのように書くのかなんて、まったく考えたこともなかったのです。
テーマといわれても、とぼくは考えました。人にむかっていいたいことなんかひとつもない。
なにか美しいものを見たわけでもないし、すばらしい体験をしたわけでもない。
そのくせ、ただ美しいとかすばらしいだけのことを書きたくない。
と、じつに困った状態だったのです。
そんなある日、新宿紀伊国屋書店の詩の棚で、『処女懐胎』を手に取ったのです。
その本はたびたび見かけていました。
ブルトンとエリュアールのなまえも知っていました。
見て知ってはいたものの、なんとなくぼくには縁遠いものという気がして、手に取ったことはなかったのです。
人との出あいには神秘的なものがあるといいますが、本もまた出あうべき「時」があるようです。
冒頭にあげた文章は、アンドレ・ブルトンとポール・エリュアールの共著、『処女懐胎』の「受胎」という作品の一節です。
アンドレ・ブルトンは超現実主義(シュルレアリスム)の中心的存在で詩人です。
ポール・エリュアールはその運動をもりあげたフランスの詩人です。
シュルレアリスムは20世紀最大の芸術運動だったとぼくは思っています。
1924年に「シュルレアリスム宣言」をブルトンが発表し、この運動ははじまりました。
そうして第一次世界大戦と第二次世界大戦の間隙でヨーロッパの芸術家たちは、おのおのの超現実主義を展開したのです。
今では過去の運動ですが、絵画、音楽、文学と、げんざいまでもその影響は地下水のように流れています。
シュルレアリスムなんてまったく意識しないクリエイターたちにまで、その無意識を刺激しているのはまちがいないことのようです。
ブルトンは、人間の本当の解放には無意識の力が必要だ、と考えたようです。
そして無意識こそ、創造に不可欠なものとしました。
『処女懐胎』は二人の詩人のシュルレアリスムによる制作の実験です。
まったく何も考えず、手が動くままことばを書いてしまうという「自動記述」による詩作のこころみだったのです。
『処女懐胎』の冒頭の一節を読んだ瞬間、ぼくは自由になりました。
テーマなんかいらない、と思ったのです。ひらめくままにコトバをならべていくうちに、作品は「成って」いく。そしてそれも「詩」ではないだろうか。
テーマ主義にあたまがガチガチになっていたぼくに、好きなように書け、とはげましてくれた一冊です。
この部屋は変だぞ、気をつけることにしよう。ここにはきみが抜け出ることのできぬ壁がある。ぼくが呪詛と脅迫をたたきつけた壁がある。いつまでも古びた血の色をした、流れた血のりの色をした壁がある。
「受胎」末尾
できれば、ここでまた、大好きな詩人や詩を紹介してみます。
(参考文献もろくにそろえないままにこの文章を書いています。まちがいがありましたらご教示いただければ幸甚です)