午後の旅
番田 


私は何もかも見失っているのかもしれない。私として書くことのその意味を。そうして流れていくのかもしれない。海に平らな青さを見つめている。私のそこに死を恐れる、私とは何なのかと自分自身が不安になったりした。すると波が護岸を小さく叩いた。私は生きていることなどどうでも良くなった。風の匂いの、誰かの事を思い浮かべる。体の中に分解するかもしれないと、怖くなって思わず、床にしゃがみこんだ。小さな蟻は、そこを歩いていく。苦しみというやつなのかと、そうして、私も思った。何にもないのだろう感情などすぐにどこかに行ってしまえばいい。朝起きて、歯を磨いて歩き出すことの繰り返しの毎日だった。本当に何もかもどうなってしまってもいいと思わされた。疲れているのかもしれない。疲労困憊だったが、手も足も出ないとはこのようなことだろうか。どこかの街角を歩くようにして、屋根へと掲げられた看板を眺めた。

赤や黄色や白や緑。通り過ぎていっては、見つめることの繰り返し。そこにサーカスの一団が現れて、様々な曲芸を披露しだす。チケットを配り、ここからはお金が必要だよと、子供から金をせしめていく。外人も金に困っているのだなと、私にも、思う。日曜日が終わっていくのだと思った。家などに、一人でいれば、こんなふうに思うこともなかったであろう。疲れているのかもしれない。それとも、何か食べ物でも食べたいのだろうか。私は疲れているのかもしれなかったー。海外の、車窓を流れる、いくつかの電車からの景色が浮かぶ。あれは、緑や、茶褐色だ。たぶん、牛がいたり、麦畑があったりするのだろう。電車が、本当に滑らかになって景色へと流れたものだった。私はつぶやいている。もう一度。あのときにー、帰れたなら、と。


自由詩 午後の旅 Copyright 番田  2010-05-31 01:13:20
notebook Home 戻る