午後
榊 慧

「ふざけるなよ今が何時だと思ってんの」
「十四時」
「そうだよ十四時だよふざけるなよ」
そう言ってくじくんは土足で上がるなよと注意してから部屋の電気を点ける。
「薄暗いなあ。」
俺は何をしていたのかという疑問を含んだ独り言、
「これから一週間くらいの分のお菓子作りだよ」
「ああ、例のタッパーの」
くじくんにとってタッパーの中のクッキーやらビスケットやら、ブラウニー、そんなようなものは立派な食事らしかった。本を読みつつぽりぽり。パソコン叩きながらぽりぽり。公園のベンチでぼうっとしながらぽりぽり。
「あれ、小麦粉使った感じじゃないけど。キッチン。」
「メレンゲだし」
そう言いながらくじくんは自分で一週間前くらいに作ったクラッカーを咀嚼する。そして甘くない(無糖。)紅茶を飲む。「コーヒーよりカフェインの量が多いから」らしい、多いから何なんだろうねと鈴木さんが言っていた。それを聞いてくじくんが彼女に怒鳴ったのは割と最近だ。(「経済的だろう!」と真剣に怒っていた。至極どうでもいい。)
「くじくん」
「なに」
「シチュー作ってきたんだけど」
「白いやつ?」
「クリーム色かな」
「よっしゃ、明日とびきりの…なんだっけ、シチュー入れたやつをパイ生地で覆って焼くやつ、あれ作って持っていこうぜ」
くじくんが下げられている目線を殆ど動かさずに言う。目線は進行形で焼かれているメレンゲに続いているらしい。
「いくつ作るの」
「四つ。」
「俺とくじくん、で、他は」
「なぜトーと俺の分以外作らなきゃいけない」
俺のパイ生地とトーのシチューだろ。と、こんどはこっちを見て言う。俺の目線とくじくんの目線が繋がる。
「でも鈴木さんとか、なんかそのあたりの子とか欲しがってたよ」
「俺の料理?」
「うん、あと福原とか」
あー、あいつらね、俺あいつらきらいだし。うわあ。お前もきらいだろとくじくんが笑う。まあね、と答えて俺もくじくんと一緒にメレンゲをみる。テーブルの上にはすでに焼き終わり冷ましている途中らしきメレンゲ、そしてまだ焼かれていないメレンゲ(ただの卵白と砂糖)がオーブン用の鉄板に並べられて置かれている。
あ、といった風にくじくんが顔を上げて俺を見た。
「そういや俺、本多勝一の日本語の作文技術、昨日古書店で見つけた。」
くじくんがどこかかくかくしている足取りでシンクから離れる。部屋の壁際に行く。くじくんは本を壁の隅の方から足元に積んでいるからだ。
「あと蘭学事始。岩波文庫の」
俺に見せる。渡す。くじくんは日本史じゃなくて世界史やってたんじゃなかったっけ、と思って蘭学事始を眺めていたらくじくん、これ福沢諭吉も読んでんだよそれ十三歳のとき知ってさあ、と、そうなんですか。
「これ置いてあんの見てそのことが頭に沸いてさあ、買うでしょここは」
「くじくん世界史選んでたんじゃないっけ」
「選んでたよ」
読む?と聞かれ、くじくんが読み終わってからでお願いしますとお願いする。はははははとくじくんは笑う。
「俺、古文はニュアンス読みというか、でたらめじゃん。だからトーの訳聞いてから読もうと思ってる」
「…オーケイ。」
どうぞとくじくんが蘭学事始をわたす。くじくんにむかし、鴨長明の発心集をひととおり読んでから「永秀法師がさあ、」と前置きなく質問されたことを思い出す。
「くじくんてやっぱり変人だわ。変態じゃないけど」
「お前に言われたくねえ!」
そういってまた笑う。ぎゃはははは。
「そういえば、」
「うん、」
「俺が来たときなんで怒ってたの?」
「うん?」



散文(批評随筆小説等) 午後 Copyright 榊 慧 2010-05-04 23:04:11
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