円盤の空
番田 

晴れた日には私自身、釣りによく出かける。釣りに出かけたとしても特に魚など釣れはしないのだけれど、以前バスプロについてのことをフォーラムに書きこんでしまったことを深く反省している。そんなふうに昔は最近の日よりのように冬になると、実家の近くの取水場に繰り出して多くの影をかけようとしていたものだ。特に、銀色のルアーが魚にくいつかれた腕は快感だったかもしれない。当時のバス釣りというと周りで本当に流行っていたものだ。流行っていたということが過去の自分にしてみれば本当に幸せな状況だったのかもしれないと、こうして東京の奥地に住むようになることによって少しだけ痛感させられる。自転車をこいで友達とそばの釣り場に向かったものだった。無い金を二人して出しあって、ボートに乗る岸辺に繰り出していった。オールを漕いでもなかなか進まない船体に、いつかはエンジンを使った波に乗りたいものだと思っていた。そんなふうに船はふらふらとしたままなかなか後方にすら進まなかった。

話しは変わるけれども最近、私の体は仕事によって元気になってきた。こんな風にしてぼろぼろに疲れ果てるたびに、アメリカという国のすべてを否定したくなるから。それに私は派遣の人間だ。アルバイトには表面上ではバカ丁寧な対応をされてはが、実際はこき使われている身分である。給料が高いうえに、ロクな頭も必要とされることのないクソ仕事ばかりしているのだ。そんなようなことを30代や40代にわたって延々と続けさせられることを想像すると、たぶん大変なことになってしまうだろうことは間違いない。いつも足下に金目のものが落ちていないので、どぶを睨み付けながら歩いている。時々、遠くに銀色のものを見かけるが、それは金の円盤だったり、カジノ用のステッキだったりする。そんなものを握りしめてバッと掲げ上げるたびに、浮浪者になっている自分を未来に想像するのである。



散文(批評随筆小説等) 円盤の空 Copyright 番田  2010-04-30 01:38:32
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