取り敢えずこれだけは言っておきたい
藪木二郎

 こういう言い訳はしてもしょうもないことなんでしょうが、取り敢えず私個人としては、一般的な話として、以下の点だけは主張しておきたい、と思います。

 差別の問題を扱う場合には、意味論的な問題を捨象してしまってはいけない、と思います。たとえ“意味”なんてもんが、ある種の思想的潮流から観ればもうそれだけで形而上学的ナンセンスだったとしも……。
 ここで新しい差別語を例に挙げれば、その語についての私自身の差別意識を指摘されてしまいそうなので、敢えて「ホームレス」、「男子高校生」で説明させてもらいますが……。

 普通の男子高校生が、実際にホームレスの状況にあるひとに対して、わざわざ指差して「ホームレスw」(?)と言ったとしましょう。これってただの事実命題なんでしょうか? 百歩譲ってそうなんだとしても、それではそう言われたホームレスの状況にあるひとのほうが、その男子高校生に対して、同じように「ホームレスw」(?)と言い返したとしましょう。こちらもただの事実命題で、(?)と(?)は言語表現としては全く同じで、場合によってはどちらかが真でどちらかが偽とされる、なんて問題なんでしょうか? 本当にそれだけの問題なんでしょうか?
 私にはそうは思えません。

 取り敢えず意味の問題は括弧に括って、その文章だけを検討してみる──、場合によっては主語を入れ替えてみたり、文頭に Not を付けてみたり、さらにいちいち主語を入れ替える労も省いてより一般的に(A)と置いてみたりする──。こんな操作で差別の問題に茶々を入れてもらっては、私としては、やはり困ります。

 確かに男子高校生もきつい状況にあるのかもしれません。その点で、意味論的な問題もちゃんと検討されてるのかもしれません。とはいえ、男子高校生が高確率で、しかもリアルにきつい状況にあったとして、そして私が、そんな男子高校生の一人だったとしたら?

>酔っ払いや、セクハラおやじ
>男子高校生が投げやりな視線をむけてくるだけ

 この表現にはおおいに、差別されたって感じを抱かせられることになるでしょうね。


散文(批評随筆小説等) 取り敢えずこれだけは言っておきたい Copyright 藪木二郎 2010-04-05 13:42:53
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