手付かずの未来
ぽこぽこへッへ

障害者の弟がいる。
障害者の弟って、恥ずかしい。
昔から思ってきた。考えないようにしてきた。
消極的ではあるが今、正面に立つ。

障害者は当然、馬鹿にされる。子供の無邪気さは残酷で、仲間外れには敏感だ。
なぜ、私の弟だけが“変”なのか、畜生、恥ずかしい、と思っていた。
しかし、弟が馬鹿にされるのを見たり、馬鹿にされたという話を聞くのは非常に不快だった。
家族というコミュニティの一員を否定されたことに対する種族的な不快感だろうか。
だったら、いじめられている弟を助ければよかったか。
弟を助けるために、いじめっこたちをブン殴ればよかった?
青春漫画のように?出来なかった。
殴れるだろうか。たとえば、同じ少年野球チームの一つ年上の先輩の弟を。
イイ先輩の弟を。そもそも人を殴れるか?理由があれば殴れるか。
次の日から学校で、どんな顔をすればいいか分からなかった。

しばらく後、ガキどもにもある程度の分別が備わる。
兄弟の話になる。
「あ、こいつの弟は障害者だった、こいつに話題を振るのはやめよう。」と、
気遣われている気がする。恥ずかしい。
今でも、兄弟は?と聞かれることが苦痛だ。

弟は毎晩深夜にオナニーをしている。
ベッドがギシギシと響く。聞くに耐えない。
しかし気付いたのは、ベッドが軋む音がこんなに響いてくること。
以前、隣の部屋でセックスしていた私への当て付けだろうか。
弟は障害者だから、結婚もできないし、社会貢献もしないし、生涯独身だ。
それは本人も自覚しているだろうが、なんて悲しい自覚だろう。

ときたま、中年の障害者を連れた年老いた母親が、博物館を訪れる。
母親が息子を見ながら言う。
「子供が“こう”だから、色々と連れて回っているのよ。」
そのとき、私は思っちゃいけないことを思った。
思っちゃいけないことは、掻き消すしかないのだが、
それをしなかった罪は、ストレスという罰を生んだ。
「子供が障害者だから、色々連れて回る?」
障害者には一般人並の娯楽がないから、その母親は、
せめて息子が生きているうちに、
少しでも楽しい思いをさせてあげようと、手を尽す?

「なぜ。」「その時間の価値。」「なぜ。」

その行為の意味は、もしかしたら、
生んでしまったことへの謝罪、罪滅ぼしではないか?
無自覚ながらもそうではないか?
勉強、就職、結婚という、母親が子に望む殆どをなしえない子。
そして、そのように生んでしまったことに対する懺悔。
子は、母親と共に死んでいく。

弟が夢中でゲームをしたり、絵を描いたりしているのを見ると、
少し安心する。それが、大体正直な話。


自由詩 手付かずの未来 Copyright ぽこぽこへッへ 2010-04-04 15:49:24
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