記念碑
悠詩

あなたの世界を傷つけてしまいました
あなたのほんの少しの優しさにしがみつこうと
手を伸ばし
あなたの世界を傷つけてしまいました
あなたの隣にある優先座席に
ひょっとしたらわたしを置けるのではないか
と思ったのがそもそもの間違いでした
そこに身を置くと
この手がこの頭をむんずと掴んで
ふくよかな座席から引きずり出し
あなたの何事もなかったような人待ち顔と
向き合うことになるのです

遠く向こうにそびえる山々に
ひょいと手を伸ばすと
その裏側を探れるのではないかという
おごりは
かすかにためらいを含んでいる
ひとは自然に生かされていると嘯き
ひとは自らが望んだから生まれてきたと叫ぶ
そこに性善説あるいは性悪説の絡む余地はない
自然と己の排中律を採るのならば
ひょいと伸ばした手の先にある
山の裏側に根雪を認めた途端に
雪は自然であり己であることを突きつけられる
そこに生じたスイッチで
雪が溶けだすのか
わたしの手が溶けだすのか
それは同じことであり
判別することは叶わない

わたしはこの世界に騙されているのかもしれない
あなたの皮を剥がすとそこから
腕が四本足が六本
へその下に目と口のある
世にも美しい生き物が姿を現し
わたしは二本しかない自分の腕を
醜く思い恥じ蔑むのだろう
それが怖くてあなたの皮を剥ぐことが
できないでいるのです

またあなたの世界を傷つけてしまいました
傷ひとつないわたしの世界で
みなに刻まれた傷ばかり目に映り
通りすがりを捕まえては叫ぶのです
あの方に刻まれた傷が見えますか
あれはわたしがつけたのです
通りすがりはそんなものは見えないという
彼女はこちらにを向いて微笑んでくれているという
それを聞いてわかったんです
傷ついているのはあなたではなく
わたしの眼球なのだということを

後悔はいつも東側からやってくる
どれだけ西の果てに追いやろうとも
ある限りの後悔が
示し合わせたようにやってくる
この体の細胞は新陳代謝により
一カ月ほどで別物になってしまう
ならば眼球に刻まれた古傷は
日に日に新しい傷に変貌するのだろうか
生まれた傷と蘇った傷とが
互いの居場所を確かめ合いながらうねる
傷はうねればうねるほど人目を引く
傷はそのことを本能的に知っている

大きな傷を抱えた眼球は
きっと傷の胎児を包んでいたにちがいない
それが生まれ出た途端に周りに阿っていたのならば
眼球の子は性悪説をとるべきである
生まれたての傷は揺り籠へと移され
そのまま墓場まで連れて行かれる
墓場まではタイトロープを渡っても辿りつけるが
そちらを選ぶのは馬鹿げている
棺桶に這入るために人前で笑われ
下に落ちる危険を伴うようなことをするのは
ジェスターとトカゲくらいのものだろう
タイトロープダンスをするジェスターのそばを
揺り籠がゆっくりと運ばれていく
籠の中にくるまっている傷の新生児は
今にも傷つこうとしているジェスターを笑う
ところが傷が揺り籠で運ばれるさまは
ジェスターに笑われているのである
ジェスターはタイトロープがへその緒であることを
知っていたのである
新生児と引き換えにへその緒は失われた
損得勘定はできているのだろうか
今まさに誕生しようとしているものと引き換えに
今まで育み続けたものを他人に切断させるという行為
見て見ぬふりをせざるをえない行為は
性善説として積み重なり
眼球をゆがめていくのです

ゆがんだレンズを通して見た世界は
ゆがんだ眼球を受け入れるほど寛容ではない
あなたの隣の優先座席は
眼球のゆがんだかわいそうな生き物優先の座席だった
ゆがんだ眼球で世界を見ることは
世界に対して失礼極まりない
その害悪を押しとどめておくための
檻だったのです
眼球に刻んだ傷は
正しい世界に届く一歩手前で
晒しものとなっているのです
かろうじて文字となっているのもおこがましい
晒しものになっているのです

己だけの世界にただ文字を刻んでいるだけならば
そこには墓石と同じ価値しかない
いや自意識があるだけ墓石よりたちが悪い
墓石は何も語らない
語るのは墓石を見た人間である
わたしは己を声高に叫んでいる
誰もいないのに無様な姿をさらしている

墓石に
救急車かつオムライスである
と刻まれている
墓の下に救急車かつオムライスが眠っている
その事実があるだけで
墓石は幸福である
しかしその事実が己にべったりと張りつくと
もういけない
己はその事実を説明せねばならない
速く走るオムライスなのか
美味しい救急車なのか
あるいは救急車のカツレツのオムライスなのか
いや次の瞬間にはそれは
高級車かつソクラテスになるのかもしれない
普通の世界にいるあなたには
救急車かつオムライスというモノを表す
便利な名前があるのでしょう
しかしわたしには断定ができない
救急車かつオムライスというモノは
刻一刻と形を変えている
それを必死になって掴み取って
壁に画鋲でとどめておくけれども
そうなればそれは
救急車かつオムライスかつ画鋲でとめられるもの
と即座にすり替わってしまう
ならばわたしも生まれ出たときと
違うモノに変わっている
生まれたときには
腕が四本足が六本
へその下に目と口のある姿だったのに
今ではこんな姿に成り下がっている

あなたの世界の片隅にわたしはいますか
きっと目に触れるにはあまりに醜くて
そこだけが真っ黒に塗りつぶされている
あるいは唾を吐き捨てる対象である
それが墓石であれば
あなたを困らせることはなかっただろうが
わたしは墓石にはなれない
ただ真っ黒に塗りつぶされた不燃物置き場で
あなたを見る眼球に傷をつけることを
許してください
いつかは真新しくなるであろうその傷が
時の流れに寄り添う光を
一縷でもいい
照らしてくれるまで

絶望はいつも東側からやってくる
その絶望すら
とこしえに続く未完成の世界の中で
一瞬でもいい
言葉としてあなたの世界にそっと佇むまで


自由詩 記念碑 Copyright 悠詩 2010-03-22 21:16:50
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