「名」馬列伝(17) エイダイクイン
角田寿星

「代打屋」という競馬用語が使われなくなって久しいが、
先日引退した菊沢隆徳騎手は腕のいい代打屋だった、といっても過言ではないだろう。
重賞10勝のうち、テン乗りで4勝。特別戦になると枚挙に暇がない。
更には関東の騎手なのに、関西馬で実に6つも重賞を勝っている。
関西の厩舎が関東やローカルに遠征する時、菊沢に依頼するケースが多かったのだろう。
地味な印象の騎手であったが、関係者からの信頼は、想像以上に厚かったと思われる。

そんな菊沢騎手も、G1レースでは3着が三度あるだけで、縁がなかった。
チャンスは皆無だったわけではない。
皐月賞のダイワメジャー乗り替わりでは、さぞ悔しい思いをしただろう。
騎手の人生は一流馬との出会いで決まるといわれる。
一流馬に巡り合えたのにモノに出来なかった悔しさは、当事者でなければ判らないだろう。
菊沢騎手の数少ない、G1を勝てる素材だったお手馬。彼女はその一頭だった。


人気のある馬だった。
父メジロマックイーンと母ユキノサンライズは、同期の芦毛馬。ともに重賞を勝っている。
父は大器晩成を地で行く稀代の名馬。
母は中山1800mのスペシャリスト。増沢騎手を背に中山記念などを逃げ切った。
そして彼女。420kgそこそこの小さな馬で、それでいて勝負根性がすごかった。
直線の差し返しでクラシック候補馬エモシオンの猛追を振り切った中京3歳S。
先行抜け出しから二の脚を使って勝ったクイーンC。
そのレースぶりにシビれたファンも多かった。
三連勝で本番の桜花賞に向かう。

桜花賞は混戦模様だった。
本来なら人気になっておかしくない馬たちが、揃いも揃ってトライアルで敗れてしまった。
代わりに彼女を含め、前哨戦を勝った馬たちが新たに有力馬として名乗りを挙げる。
彼女は2番人気。
締め切り直前までは1番人気で、彼女に対する期待の高さの程が窺えた。
或いは内国産馬がクラシックを制する「血のドラマ」を、ファンは期待していたのかもしれない。

レースは、有力馬のほとんどが先行グループを形成するという、エキサイティングな展開。
彼女は4、5番手を追走。いつものレース振りだ。
最後の直線。スパートをかけて逃げるロンドンブリッジを捕まえに行く。
が、いつもの手応えがない。失速、6着敗退。
彼女はレース中に右前脚を骨折していた。
手術が必要なほどの重症であり、クラシック戦線離脱。長い長い休養に入る。


桜花賞からちょうど一年、復帰。骨折していた脚にはボルトが入ったままだった。
一走してさらに7カ月の休養を挟み、彼女は追い込みに脚質を変えていた。
怪我の後遺症でスタートダッシュが利かなくなってしまったのか。
不発も多く、勝ちきるまではいかなかったが、しかし結果的には見事な脚質転換であった。
なかでもエリザベス女王杯、最後方から直線だけで3着に追い込んできたレースは圧巻だった。
上り3ハロン33.0秒。当時の京都2200mでは破格の末脚である。
だが、次走の阪神牝馬特別で故障発生。
鞍上の二本柳騎手は彼女の異常に気づき、追うのをやめた。隠れたファインプレー。
ボルトの入った右前脚の、浅屈腱不全断裂。惜しまれながら引退した。

過ぎてしまったことを「たら」「れば」で語るのはよくないことである。
しかし彼女の場合、桜花賞での骨折がなかったら、あるいはオークスに出走できていれば。
彼女のみならず、例えば種牡馬として成功できなかった父馬の評価は違っていたかもしれない。
また、菊沢騎手も名馬との出会いが増え、先述のダイワメジャーの乗り替わりはなかったかもしれない。
幻の桜花賞馬、あるいはオークス馬。
でもそんな称号は、彼女にはいらないかもしれない。
それだけ彼女は、ファンに愛された馬だった。


エイダイクイン  1995.4.15生  現在繁殖牝馬
         19戦4勝
         主な勝ち鞍:クイーンC(G3)
         エリザベス女王杯3着

菊沢隆徳     1970.2.10生  1988年デビュー 2010年引退
         9454戦742勝(うち障害1戦0勝) 重賞10勝 
          目黒記念、日経賞、フローラS(以上G2)
          愛知杯、中山牝馬S、シーサイドS、小倉大賞典、
          クイーンC、七夕賞、函館2歳S(以上G3)
         フェアプレー賞5回


散文(批評随筆小説等) 「名」馬列伝(17) エイダイクイン Copyright 角田寿星 2010-03-18 19:25:24
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