アルカディアユートピア
ブライアン

感情が、とても繊細になる時がある。たぶん、季節の変わり目にだと思う。空気に反射する光の違いが、如実に表れる。
視覚と聴覚は遠隔的に、外部の環境を内部に受け入れる。蚤ほどの身一点が、視覚と聴覚を通じて、外部の世界へと拡張し、同時に、外部の世界から、蚤ほどの身一点へと収縮する。
投げかけた眼差しが、外部の世界に触れ、反射して戻って来るとき、季節の変わり目は、自分自身の変化にも気付かせる。
些細なことだ。お酒が弱くなったとか、ご飯が食べれなくなったとか。ただ、それらの変化に気づくと、今まで見過ごしていた変化にも気付く。
諸行無常、盛者必衰、行く川の流れは絶えずして、だ。
そうやって、変化は衰退へと向かっているのに、命は発達を目指そうとするから、ちぐはぐな気持ちになる。どちらかに媚びているわけではないのに、衰退にも発達にも殉じようとせず、どっち付かずにさまよっている。
根っこが無いのだ。いや、根付く土地すらない。

今年の夏に引っ越した場所は、新興住宅地で、公園がいたるところにある。
古い家でもせいぜい30年くらいなのではないだろうか。歴史の重みに耐えかね、押し潰されて行く家をみたことはない。
おそらくこの土地は、第二の故郷を求め、根付こうとした人々が、30年くらい前に開発したのだろう。
そして、我々のアルカディアを!と、鼓舞し、通勤往復2時間の満員電車に耐えた。
しかし、30年をこえる勤務を終え、定年を向かえた彼らが気付いたこと。
新興住宅地はアスファルトとコンクリートに囲まれているということ。
堅いコーティング。彼らの根は土地に根付くことは出来ない。
子供たちは大人になり、家を出て行った。妻と残された余命。
アスファルトの上に、根付くことなく、花開く街。造花。すり替え可能な景色。

ふと、思う。外部の世界から侵入する、言葉、歌。
もうすぐ、春を向かえる。視覚が変化を捉えた時、聴覚は普遍を強調する。
単なる故郷へのノスタルジアかもしれない。
日本語で歌われる歌。身一点の身体に、強く突き刺ささる。
満員電車。イヤホン。外部の世界への拡張を拒み、自分を世界から切り離す。
世界から切り離された身体は、根付く土地もなく、蚤ほどの身一点だけ、満員電車に放置される。
イヤホン。持ち運び可能な世界に詰め込まれた、仮想世界から音楽が流れてくる。
聴覚は、遠隔的に外部の世界を内部に取り込む。
持ち運ぶ、内部の世界が、外部の世界にすり替えられた時、ふと思うのだ。
かつて、と語りだす記憶が、日本語で歌われる歌に共鳴していることに。
アスファルトの世界、すり替え可能な景色。
すでに失われた、今、この瞬間、重い重力に縛りつけられるようにして衰退へ向かう命を、生き延びようとしている。
イヤホンによって閉ざされた世界を背景にし、イヤホンから放たれる世界に反響する。
蚤ほどの身一点に収縮した身体から放たれる眼差し。イヤホンから放たれた母国語の歌。
衰退を目の前にして、母国語の歌に耳を澄ます。目を細める。かつて、と語りだす記憶が、アスファルトの上にも雨を降らす。
雨はアスファルトの表面を流れる。僅かな泥。土を運ぶ。僅か。
反響する街に、感傷的な雨。そして、僅かな泥、土。

街には不法な落書きがある。
夕暮れ、反射する光を断ち切る壁。
誰かの所有物、それとは別の誰かがの落書き。誰のものでもない、ここ。誰かの壁に反響する、誰でもない落書き。
見るものは、歩くものに憧れるのだ。
消されるために書かれた落書きに、日の出のために沈む太陽の光が触れる。
日没する光が壁に反響し、眼差しに出会う。

此処ではない、何処かに旅立った、30年前の住民が、何処でもない、此処にたどり着く。
根は微かにはっている。
感傷的な雨によってもたらされた、僅かな泥の中に。反響を繰り返す、光に育まれ。
そして、脆い根は直ぐに引き抜かれ、大量の雨に流される。ノスタルジア。
けれど、母国は変わらない。日本語で歌われる歌、重力に耐えかねた家。朽ちていく命。
我々のアルカディア!


散文(批評随筆小説等) アルカディアユートピア Copyright ブライアン 2010-03-14 22:55:49
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