鏡の国からの強迫
佐々宝砂
昨日を映す鏡がある。
鏡の中の私は
コーヒーカップ片手に
煙草をくゆらしている。
煙草の煙が文字を描く。
危険
と読める。
昨日の私はいらただしげに
カップを持っていない方の手で
空気をかきまわす。
煙は消えない。
消えないで
今度は
不可能
という文字に変わる。
その文字に背を向けた昨日の私は
テレビをつける。
青白い画面に
私が映っている。
テレビの中の私は
スクール水着を着ただけの姿で
氷山がいくつも浮かぶ北海を
泳いでいる。
冷たい海水をかくてのひらは
もう赤く腫れている。
そのてのひらが
氷山の一角に触れる。
てのひらが
氷に貼りつく。
泳ぎ疲れた私の
視線の向こう
閉ざされた氷のなか
目を閉じて眠っているのは
私。
氷に縛られた私の
夢のなか
絶壁をよじ登る私がいる。
道具はなにひとつない。
指の爪は
すっかり剥がれている。
その指で
無謀にも
岩をつかもうとして
つかみそこね
落ちてゆく。
落ちてゆく私は
氷に閉じこめられた私に激突し
凍りついた私ごと氷を砕き
砕かれた私の破片は
泳ぐ私の胸に穴を開け
泳ぐ私の血潮は
テレビを見る私を赤く染め
血だるまになった私は
うらめしそうに
鏡の外の私を見る。