(追悼文)石原大介さん—『だんすがすんだ』を傍らにして
バンブーブンバ

こうした追悼文をしたためようか、迷いました。きっと誰かがそうしてくれるであろうし、昨日今日の出来事だったから、心のブレを伴うほどの時間であるし、言葉も掬っては零れてしまうだろうと、思いを巡らしていました。そもそも石原大介さんを私は存じ上げません。一年前から、同じくして、彼も投稿し始めたくらいの、「同期生」のような感覚に捉われていたからかもしれません。新聞紙で肌を切ってしまったような、明日には忘れてしまうようなものなのに、妙に知覚されてしまう擦り傷みたいなあえかな感覚。お会いしたこともないのに、不幸にも彼の死によって、逆照射される。きっと、存じ上げない私のような人間であるからこそ、追悼文をしたためる意義があるのかもしれない。彼との数少ないプロット―交差点を辿ることで、この微細な名前のない「気分」を回収できるかもしれない。彼への、というよりかは、私たちの、こうした薄い蜘蛛の糸のような胡乱な連絡線に、朝露のような何かで輪郭にかえて、光にかざして、映し出されるものに触れられるのかもしれない、いや、触れてみたい、と思いました。この朝露のような何かとは、それは片手で数えるほどの、互いにポイントを与え合った詩そのものです。最初のプロット―ポイントですが、私のハンドルネーム「バンブーブンバ」が回文であるのと同じく、短歌『だんすがすんだ』となります。それだけのおざなりな理由でこの短歌を一読したのではないのですが、あぁ、私と遠いところにある人なのかもしれない、そう感じたのを憶えています。以前、午睡機械さんの返信にも書いたのですが、どちらかといえば、興味に引き寄せられてしまうものとは、やはり、似ているモノか、全くそうでないモノかのどちらかであるのですが、石原大介さんについては、その似ていないモノに属する人と理解していました。おしなべて直感にかまけて申し訳なかったのですが、「そこにロックを見つけた」ものです。事実、彼はパンクロックを日々の友としていました。それにしても、この『だんすがすんだ』には、彼独特の磁力を感じさせる対極の中に渦巻いてしまった「蹉跌のような模様」を発見したものです。



三分でラーメン喰って破滅してドンブリもろとも叩き割る街

ひだまりの 庭でコップが ゲップした ぼくは静かに それを見ていた


「コップが」「ゲップした」を接続させることで生まれるパンクな図像。しかしそれは、ひだまりの庭で起きてしまった「歪」に置き換えられている。そこに、そこはかとなく私たちの限界状況を、ここではまぎれもない「死」で代表されてしまうような、知覚の外の世界への扉を見つけてしまいます。なのに、語り手は、「静かに」それを見ている。うらぶれた思いを重ねたドンブリの街を叩き割るロックな気概は、尚のこと、こうした静心を強調します。最期のくだり「だんすがすんだ」は、こうした対極性によって生まれる磁力を、失速させるどころか、回文によってドライブさせられて、「だんす」は紛れもなく、「生」に置き換えられてしまいます。「すんだ」は逆説的な反響となって、霞に消えてゆきます(特に、石原大介さんが他界された今となっては尚のことです)。
その後のプロットですが、彼と私のそれぞれのポイントを合計しても5ポイント(彼が2ポイント私が3ポイント)といった脆弱なものでありましたから、私と彼の距離感におかれても尚のこと紡いでしまったそれらの詩は、少ない架け橋の両端で相対して、「やぁ、久しぶり」と声掛け合った同窓生の懐かしい挨拶と似てなくもありません。
こうした実在しているはずの彼を、実在として実感したこともないのに、「死」を実感させてしまうものに、私は輪郭を与える言葉を未だ持ちえていないのですが、ただ、抗いながらもひとつおぼろな霞みに映る光というのは、「紡いだ言葉を私が読み、私が紡いだ言葉を彼が読んだ」、その事実が、たとえ空想であるかもしれないにしても、私には、それらが生と死を感じさせるに十分な、何かであった、そう考え始めているのです。
読まれることで初めて詩になる
ならば、
初めて詩になることで読まれる
ものに、
出会えることで、
私は、これからも「だんすがすんだ」思いに、触れられるような気持ちになったのです。


散文(批評随筆小説等) (追悼文)石原大介さん—『だんすがすんだ』を傍らにして Copyright バンブーブンバ 2004-09-29 21:21:41
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