「名」馬列伝(15) クラキングオー
角田寿星

現在の彼のことから話そう。
生れ故郷の牧場で細々ながら種牡馬生活を送っている彼の右前脚は、
サラブレッドのそれとは思えないほど腫れあがり曲がっている。そして少し短い。
現役生活最後のレースによる負傷が原因である。

ホッカイドウ競馬入厩直後はさほど目立つ存在ではなかったが、3歳になりめきめき力をつける。
中央開催のダート戦を同着で勝利、その後王冠賞、北海優駿と連勝。
3歳チャンピオンとなる。
ダービーグランプリにも出走し(8着)、最高峰レースの道営記念に2着。
450kg前後だった体重も、その頃には500kgを超すまでになった。
成長力が備わっていたのだろう。

ダート長距離戦には滅法強く、ブリーダーズGCの常連だった。
古馬になってからは、逃げまたは積極的な先行策という戦法も確立された。
5歳の道営記念、3度目の挑戦。
1番人気の彼は、3番手から3コーナーで捲りを打ち、先頭に躍り出す。
そしてそのまま、先頭でゴール。待望の栄冠を手にした瞬間だった。

次走の名古屋グランプリも4着と好走。彼の更なる活躍を予感させる走りだった。
が。6歳2戦めのサクラローレル賞で故障発生、競走中止。
獣医師の診断は右前脚靭帯全断裂、球節複雑骨折。予後不良級の重症だった。
ここから、彼とスタッフの、もうひとつの闘いがはじまる。

オーナーブリーダーでもあった牧場主は彼の右前脚をガチガチに固め、牧場に戻した。
通常、重症を負ったサラブレッドは、患部の脚元に負担がかかり、蹄葉炎を発症する。
蹄からばい菌が入り、やがて蹄が、脚がどんどん腐っていく。
ついには立ち上がることも出来なくなるほど衰弱し、死んでいくのである。
しかし、彼の場合は違った。自ら脚元に負担がかからないよう、じっと静養していた。
心配していた蹄葉炎にも罹ることなく、奇跡の生還を成し遂げる。

奇跡の生還から6年。彼は種牡馬としてデビューした。
ただ一頭の産駒、それがクラキンコ。
母のクラシャトルも北海優駿に勝った名牝であり、道営重賞を父母合わせて10勝した「名血」である。
すでに2勝を挙げ、重賞のエーデルワイス賞で2着。
アパパネの勝った赤松賞にも遠征してきた(12着)。
現在道営がシーズンオフのため、大井に転厩している彼女であるが、目標はやはり北海優駿だろうか。
今後の活躍を心から祈る。

クラキングオー    1997.4.17生
           35戦12勝(地方35戦11勝、中央3戦1勝)
           主な勝ち鞍:道営記念、北海優駿


散文(批評随筆小説等) 「名」馬列伝(15) クラキングオー Copyright 角田寿星 2010-02-23 21:42:30
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
「名」馬列伝