攝津さんのリクエストに応えて、ジャズを聴くよう心がけ出した。できれば彼の要望どおり、感想なども述べてみたい。
つーわけで、とりあえず『サマータイム』を基軸にして、ジャズ畑へ足を踏み入れた。
まず、ビリー・ホリデイによる同曲の歌唱を聴いてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=h5ddqniqxFM&feature=related
オペラの挿入歌であり、黒人貧困層の子守唄としてイメージされたこの曲の流行歌化を目論んだものだろうか、それ以上でもそれ以下でもないといった印象。
ところで、その三十年後に白人であるジャニス・ジョプリンがその特異なボーカルスタイルと歌詞の書替えによって、黒人の子守唄であるこの曲のイメージを無残なまでに破壊してしまう。その動機がよく分らなかったが、「自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だった」という彼女の発言を知って、彼女の魂胆が見えてきたような気がした。
彼女には「クロさんたちの古臭い子守唄をハシゴにしてアタイは成り上がるつもりだけど何か?」というような覚悟のようなものが無かったか。「いまどきはアタイらの方がよっぽどヒサンだっつーの!」というようなことを世間に向かって言い放ちたかったのではないか。
58年のマイルス・デイビスによる『サマータイム』ですら、オペラ『ポーギーとベス』(1935年)の第1幕で歌われた子守唄とは隔世の感がある。それはもはや最低生活を送る黒人向けの慰み音楽などではなく、都市生活者のための洗練されたアフターファイブBGMと化している。
http://www.youtube.com/watch?v=N090STPx-2M&feature=related
とにかく、ポピュラーミュージック史上においてこの曲がどういう位置づけを辿ったかを追ってみるのは面白そうだ。作曲者であるジョージ・ガーシュウィンがロシア系ユダヤ人の移民の息子であり、黒人音楽好きの白人であったというのも興味深い。なお、作詞はこのオペラの原作者であるデュポーズ・ヘイワードということだが、この人が黒人であるかどうかは調べても分らなかった。
黒人にとっても白人にとっても『サマータイム』という曲は、その曲をどうプレーするかという点で、他の曲には無い意味合いを持っていただろう。