うっすらが広がる世界-埋葬幽霊- なをさん
kokorono

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人が人で生活する上で、うっすらと生きることはなかなかできることではありません。
というのも、うっすらな人がいたとして、その人が世界の中心にいたとしても、世界はその人のほかにたくさんの人がいて、世界の中心がたくさんあって、ごちゃごちゃしているからです。
ごちゃごちゃしているところで、じぶんのわがままが、とおるわけもなく、こころをわがままでいることは、なにかしらのテクニックが必要になり、それがわがままを成長させながら、またさかさまにテクニックがその人の個性となって、こころはテクニックの裏側に垣間見えるようになります。
人の会話はそうやって、なごやかにすすみ、わらい、たのしくして、ながれるようです。でもごちゃごちゃしていきます。

人のほかの人のないとき、人のきもちは人のきもちと交じりあって、つうじあうきもちが生まれました。大人になるとそれはなくなり、そうやって、はなしができるのは、やはり人が世界の中心にいることをわかっている人しかいません。
幽霊はわがままにじぶんのきもちを伝えます。ひらがなは幽霊のことばにとっての裸足のきもちです。
「べつになんでもかまわへん」
「ほしいのはくつなんよ」
幽霊のことをわかっている人はこれに応えて、
「御供養するのはよしにしました」
「みたいやった、と/おしえてあげると」
すこし大人びてやさしいです。

幽霊はうっすらと生きています。
傷ついてお行儀のいいひとなので冬のあいまは土のなかです。
こころが死んでしまわないので、消えてしまっても、またあらわれそうで、せつなくも、かなしくもなく、うっすらとしたやさしい感情がのこっておわります。

*

詩の作り方として
この詩は、足で題材の骨格を作っています。
「裸足のあしのうら」
「つまさきをそろえて」
「ほしいのはくつなんよ」
「可愛いらしいあしやったよ22センチくらいで中国のおんなのひと」
足へのイマジネーションが膨らんでいきます。
またリフレインも多様です。
「と、云う そういえば裸足だった」
「埋めたとき/そういえば裸足だった」
「御供養するのはよしにしました」
「御供養になったのかな/とうとう消えてしまいました」
ことばの間合いやリズムも独特なものがあります。

ほしいのはくつなんよ
と、云う そういえば裸足だった
埋めたとき
そういえば裸足だった


せやけど可愛いらしいあしやったよ22センチくらいで中国のおんなのひと
みたいやった、と

この人にとっての詩(ことば)は
こころのかかわりあいの音楽−多様なパターンです。


散文(批評随筆小説等) うっすらが広がる世界-埋葬幽霊- なをさん Copyright kokorono 2004-09-26 14:48:11
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