高野山物語
済谷川蛍

 学校から帰ると部屋がチャーハンの匂いで充満していた。近所の夕飯がチャーハンなのだろう。寒いので窓を閉めた。ヒーターなど暖房器具はつけず、毛布にくるまる。ベッドの枕周りはタバコの灰、錠剤、携帯、割り箸の袋、4種の煙草の銘柄、ボイスレコーダーなどが散乱している。床はさらに汚く、ゴミ溜めになっている。一日数回ベッドから水回りへ移動するときに不便だが、片づけてもすぐに汚れるので今のところこれでいい。別にこれといった理由もなく私の部屋は汚い。ゴキブリはまだ見たことがないが、アパートの1室に大きなゴキブリが住みついてると思えばしっくりくる。以前、大家が火災警報器を天井に取り付けにきたことがある。突然やってきて、すぐに帰っていった。大家は部屋のことは何も言わなかった。
 6段式の本棚の上には得度修了書、授戒修了書、理趣教加行修了書、護身法加行修了書が立て掛けられている。これら修了書が私が持つ価値あるものだ。これ以外の、アルマーニ・コレツィオーニのブルゾンも、ヘッセの著も、すべて私の趣味に過ぎない。各修了書は、私よりも、価値のあるものだ。しかし、たとえ修了書を全て失うことがあっても、私はしぶとく生き続けるだろう。結局のところ、動物も虫も植物も人間も、生物すべては生きることしかできないのだから。

 ベッドの上で煙草を吸いながら念珠をもてあそんでいた。学校に行く途中、見つけたものだ。忍びないと思ったので拾ったのだった。それの不思議だったのは重さが変わることだった。温度も変わった。ポケットに入れておいても、それは感じた。本物かもしれんと怪しむ。珠数屋四郎兵衛なんかで売ってる代物なんかではない。何とはなしにさすっていたのだが、突如今までにない重みと熱を感じ、神様らしきもんが目の前にあらわれた。まるで仙人のような爺さんだ。
 特に挨拶らしきものはなかった。
 部屋が狭くなったのでゴミ屋敷を片付けることにした。洗濯カゴの中にペットボトルと空き缶が200本。いちいち水でゆすぎ、ラベルをはがし、缶は潰す。別にエコロジストというわけではない。ゴミ捨て場を仕切ってるうるさいオヤジがいるのだ。食器を洗う。
散乱していたプリントをとりあえず積み重ねる。足の裏がざらざらするのでカーペットに掃除機をかけた。ベッドに鎮座しルーシアに火をつけ、一服した。爺さんはキャスターを1本とり、吸っていた。お互いに無言だった。悟った人間に言葉は邪道な感じがした。爺さんはタバコをベッドの端に柵で軽く叩きカーペットに灰を落とした。
 灰皿を脇に置く。私がタバコといっしょに紅茶花伝を飲むのを興味ありげに見ている。頼まれたわけではないが近所の自販機まで買いにいった。爺さんは差し出された缶のプルタブを開けた。部屋はどうやら爺さんのいるおかげで暖かかった。バイクの群れの騒々しい音が響くと爺さんを中心として熱を帯び、ビリビリとした空気に変わった。

 あるとき爺さんが呆けた老人のように意味もなく錠剤をアルミ箔から押しだしていた。メイラックスをつまんだかと思うと、力を加えず砂粒のように変え、指をこすった。薬の数が合わなくなると言ったら手品のようにアルミ箔の中に戻した。
 またあるときはタバコの煙が大人しいねずみに変わった。撫でていると、急に感触がなくなり消えてしまった。てのひらを嗅ぐと煙の臭いに混じって微かにねずみっぽい匂いもした。
 一番驚いたのはノートパソコンでニコニコ動画を見ていると突然画面が無辺の桃源郷に変わったときだ。川が流れていた。それがあまりにリアルだったので指先を近づけると水に濡れた。花の匂いが部屋の中にも漂った。とても懐かしい感じがした。振りかえると、爺さんは今までにないくらい表情を変えていた。それは、ひどく郷愁じみていた。
 「ニィーコニコ動画」という声が聴こえて画面を見たらすべてが元通りだった。

 母から電話があった。仕送りはちゃんと届いたかという電話だった。猫たちはいまどうしてると聞いた。うちでは3匹の野良猫を飼っている。ミー、クッチ、あともう一匹の名前は忘れた。母が冷蔵庫からかつおぶしを出して猫を呼んだ。ミーが来たらしい。電話口で「ミー」と呼んでみる。電話を切ったあと爺さんが「わしも、犬を飼っている」と言った。「懐かしい。逢いたいな」
 少し部屋がさびしくなった。

 アパートに帰ってドアを開けると、部屋の中から春の匂いがした。小さなモンシロチョウがダッフルコートにとまっていた。
 コンビニで買ったものをベッドに広げ、好きなものを食べるように言った。僕は自分用のたらみのブドウゼリーを食べた。爺さんはおたべを食べた。野菜サラダを食べると季節の齟齬に気付く。部屋の季節は春なのに、コンビニで買った野菜が旬の味ではないからだ。
 夜、爺さんは言った。
 「窓を開けなさい」
 「なぜ?」
 「春を消す」
 静かな夜をモンシロチョウが飛んでいた。
 「チョウチョはどうなるの」
 「消える」
 「え、何で」
 「宿命だからじゃ」
 「さだめって…」
 理不尽だった。チョウチョは爺さんが生み出したものじゃないのか?
 「可哀想だ」
 「宿命だ」
 「窓は開けない」
 「チョウは明日になれば死ぬ」
 「僕は殺したくない」
 爺さんはしばらく僕をじっと見つめて、寝た。初めて爺さんに憎悪を抱いた。
 チョウチョを探した。本棚の上の得度修了書にとまっていた。儚かった。死ぬことを知らない、か弱い存在に思えた。
 朝の冷たさで起きると、黒い机の上にチョウチョが死んでいた。羽が千切れてしまわないようにそっと手のひらに乗せた。それから外へ出て、埋めた。オンコロコロと真言を七遍唱え、春に逢おうと囁いた。部屋に戻ると、爺さんが逢えるさと呟いた。僕はその言葉を信じなかった。

 風邪気味のときに悪夢を見た。巨大な物体に追われる夢だ。押しつぶされる恐怖から必死に逃げる。爺さんが見え、僕は助けを求めようと爺さんのほうへ逃げるが、爺さんは消えてしまう。目が覚めて、むりやり爺さんを起こし、どうして助けてくれなかったんだよ!と泣きそうになりながら訴えた。爺さんはわしは知らないと言った。じゃあもし僕が実際に何かに追われてたら、爺さんは僕のことを助けてくれるの!と言うと、爺さんは頷いた。

 犬を探しに土曜に爺さんと出かけることになった。バスに乗ると爺さんは乗車券もとらずにさっさと空いている席に座った。バスカードを通し、爺さんの分の乗車券を取った。混んでいたので席は別々になった。金剛峯寺前で降りる。爺さんを探すと既に降りていた。金もないのに、これも神通力かと思いながら降りようとすると、運転手が慌てて「ちょっと」と言い、あんたの連れだろみたいな感じで爺さんのほうを指さした。爺さんは金剛峯寺の石段を上がっていた。
 様々な場所を巡って奥の院に着いた。弘法大師が眠っている場所だ。墓所から御廟までの道のりは遠く、歩き疲れたが爺さんは平気な様子だった。爺さんは御廟の前で神妙な顔つきで聞き取れない言葉を喋っていた。
 犬は見つからなかった。
 家に帰ると、爺さんが節々が痛むと言ったので身体をさすってやった。爺さんから、お前には生命を慈しむ優しい気持ちがあると言われた。
 次第に雨の日は雨の日の部屋に、寒い夜は寒い夜の部屋になっていき、ヒーターをつけるようになった。爺さんの力が衰えているのだ。犬の話をした。飼っているといったが、だいぶ昔に死んだのだった。自分独り取り残され、離れ離れになってしまった。高野山を探し回っているのだった。
 いつか「また逢えるさ」と呟いた爺さんの言葉を思い出した。「どうやって?」
 パソコンをつけなさいと言う。
 随分時間がかかって、デスクトップのかわりに犬が現れた。2人とも嬉しそうである。
 しかし、それは思い出に過ぎないような気がした。
 他人の魂を感じ取るには、共感がキーになりそうだ。自分と同じものを他人にも感じ取る。孤独な人間ほど自己を曝け出すのは、魂に共感を求めているからかも知れない。
 爺さん、あんたも寂しいんだ。共感出来る相手がもうこの世にいない。わかってるんだ。あの日、念珠を取ったのは、自分に似た哀れみを感じたからだ。
 その日、爺さんは私の前から消えた。
 床にあった念珠を手に取った。
 「本当に逢えると思ってるの」
 少し手のひらが温かくなった気がした。


散文(批評随筆小説等) 高野山物語 Copyright 済谷川蛍 2010-01-23 18:16:51
notebook Home 戻る