ガーベラさん
瀬崎 虎彦


 わたしはひそかにその人をガーベラさんと名づけている。
 月曜日の昼、大体同じ時間にやってきて、大体同じ内容の花束を頼んでいく。ガーベラと赤みの差す花を葉蘭で包む花束を。
 だからガーベラさん。


 駅前に花屋が多いのは、病院への見舞いにせよお祝いにせよ、求める人にとって便利だからだろう。人が多く冷暖房の効いた電車の中へ生花を長時間持って行くのはあまりよくない。持って歩くわずらわしさも少ないほうがいい。花屋の立地には理由がある。あたりまえのことだけれど、何にでも理由がある。
 わたしが働いている花屋さんの場合、やはり病院へのお見舞いの品が多い。それから近くにいくつかある大学で年度の終わりなどに学生さんらしいお客さんが、何人か連れ添っては大きな花束を頼んで買っていく。その子たちは若くて、楽しそうで、花束を買うのは初めてという雰囲気が出ている。
 上手に花束を注文するには、花の良し悪しを見定める目も必要だけれど、おおくの場合、色や予算、大きさとイメージを伝えるお客さんが多い。バラやスプレーマムのように特に入れてほしい花があればそれも伝えておく。だから、時折的確な指示をして花束を頼んでいくお客さんがあると、「ああ、花束を贈りなれているな」と思うし、印象にも残りやすい。
 ガーベラさんはいつもパリッとした身なりで、夏でもきちんとネクタイをしていた。
 わたしはフラワーアレンジメントの専門学校に通っていた頃に、そこで知り合った女性のお父さんが経営する、都内にいくつか支店を持つ花屋さんで働いている。手が荒れたり、生花の管理が大変な仕事だけれど、子供の頃から花が好きだから天職だと思っている。パチンというハサミの音に、飽くことなく魅了される。


 ある月曜日、わたしは配達を言いつかる。花ばかりではなくて、大きな鉢の観葉植物などを搬入することもある。そういう仕事は普段アルバイトの男の子がワゴン車に乗って配達に行くのだけれど、その日彼が休んでいたので代わりにわたしが行くことになった。大きなものの搬入は台車を使えばよいので、どうしても男でなければ出来ないという仕事ではない。けれど普段あまり知らない道を、乗りなれない車で行くというのは緊張することだった。
 届け先は大学の中にある講堂のような場所だった。花器と生花をセットにして壇上に飾った。髪をひっつめにした若い女性がテキパキと指示を出していて、特に問題も生じなかった。搬入路やスロープもあり、スムーズにセッティングが終わった。器は後日引取りに来ることになっている。搬入が終わると、わたしは空の台車を押しながら並木道を駐車した場所へと向かっていった。
 わたしは大学に行かなかったので、年齢はそう変わらないであろう学生たちのはしゃいだ様子や、広々としたキャンパスの案内図を物珍しく見ながら台車を押して歩いた。入構証を返却したあと、正門の手前で左手に花束を持ったガーベラさんを見つけた。声をかけて挨拶をしようかとも思ったけれど、名前も知らないので軽く会釈だけをした。ガーベラさんはわたしに気づいて、それからとなりに停められているワゴン車の車体にある店の名前に目をやって、ああ、と言った。
「こんにちは」
「花屋さんの。どうも」
 花束を頼む時の無駄のない口調はそのままに、場所だけがいつもと違っていた。
「今日は配達でうかがいました」
「ああ、そうですか」
「こちらの先生なのですか?」
 え、とガーベラさんは驚いた顔をして、それから笑った。
「僕はまだ学生なんですが、週に一度こちらに教えに来ています。だからそれはそうなんだけれど、先生かというとやっぱりそれもちょっと違いますね」
 生真面目そうなガーベラさんはこういう柔らかい表情もするんだなあ、と思って私はちょっと不思議な気がする。
「大学では学生さんが先生をすることもあるのですか?」わたしは聞く。
「学生というと誤解があるかもしれませんが、大学院の学生がささやかな授業をすることはあるんです」
「大学院の学生さんなんですか」
「この大学ではありませんけれど。それに、少しばかりトウがたっていますが」そういってガーベラさんが肩をすくめた。
「いえ、そんなつもりでいったんじゃ」どんなつもりだかわからないけれど、失礼のないように私は言い添えた。そうか、こんなに若い先生がいて(ガーベラさんは若く見えた)、しかも学生なんだと驚いた。大学というのは不思議なところだなあ。
「いつもうちの花をご利用いただいてありがとうございます」と、思い出したようにかしこまった挨拶をした。その瞬間、ガーベラさんがなぜ花を持って大学へ行くのかという疑問が沸く。
 だれのために?
 何の目的で?
 毎週、同じ花束を?
 ふふふ、とガーベラさんが笑ってふと我に返る。きっと困惑が顔に出ていたのだろう。
「腑に落ちないという顔をしていますね」ガーベラさんが言った。
 ああ、いえ、そんな、と答えるけれど、腑に落ちないという顔をしていなかった自信がない。
「この花束はね、僕にとってのお守りみたいなものなんです。これがないと、授業がうまく出来ない、という」
 そういってガーベラさんは左手に提げた花束に目をやった。


 僕はとても緊張する性質なんです。教壇に上がって学生さんの顔をまともに見ることも出来ない、そんな時期もありました。口では必死に何かを説明しているのだけれど、自分の話しているその声がどこか遠くから響いているようにさえ聞こえる。それくらい緊張していた。当然学生さんからの受けも良くありませんでした。一方的に漫然と話している、と思われていたでしょうね。もちろんそれで済めばいいですが、興味を惹かれない授業など彼ら彼女らにとっては負担ですからね。僕だって前の日から準備をして授業をするわけですから、伝えたい、教えたいという気持ちはあるのに空回りしている。そういう授業が続いて、随分落ち込んだこともありました。
 とてもお世話になっている先生がいるのだけれど、ある日その方に相談してみたんです。そうしたらね、授業なんてものは場数を踏まなくてはうまくならないし、緊張するのは仕方ない。誰もが通る道だ。ただ、自分の心を落ち着かせるための小道具を用意しなさい。それで毎回同じような気持ちで授業を始められるように心がけなさい、という助言を下さったんです。
 たとえば腕時計を外して教卓におくとか、気に入っている万年筆を胸ポケットに挿すとか、授業前に深呼吸するとか。傍から見たらささやかなことなんですが、そういう個人的な儀式やジンクスのようなものを作って、授業を始める前に気持ちをリラックスさせなさい、ということなんです。そうはいっても、なかなかこれといった方法は見つかりませんでした。授業の最初に音楽をかけるなんてこともやってみたんですが、逆に学生の私語が増えたりなんかして。
 ある日、夕方から友達の見舞いに行く用事があったんですが、面会時間も限られているし仕方なく花束だけ用意して、それを教室へ持っていったことがあるんです。そうしたらね、学生の視線が花に集中して、少なくとも教壇の上にいる僕としては、自分の授業を興味深く聞いてくれる観衆がいるような錯覚をしました。それはそうですよね。授業に花束、先生はどうして花を持って教室に来たんだろう。不思議な緊張感があった。僕は自分の話を聞いてくれているように感じて、普段より随分良い授業が出来た。
 その日以来です。僕が花束を持って授業に行くことにしたのは。


 ガーベラさんは授業が終わると、その花束をどうしていたのか。
 彼のように、その大学の正式な先生ではないけれど、週に一度教えに来ている先生たちの待合室のようなものがあるらしい。その部屋に飾って帰ったそうだ。
 授業中、花束はどのように置かれていたのか。
 はじめはそのまま教卓に置かれていたそうだが、何人かの学生が見かねてちょうどいいサイズのフラワーベースを彼にプレゼントした。その頃ではガーベラさんは学生にとても人気のある先生になっていた(年齢が若かったこともあるだろうけれど)。ガーベラさんはそのフラワーベースをロッカーにしまって、授業のたびにそれを大事に取り出して使っていたことだろう。
 数年経って、ガーベラさんは別の大学の(今度は)正式な先生になった。今では花束を作ることはなくなって、自分の研究室にガーベラの鉢植えを置いている。けれど相変わらず授業のたびにそれを教室へ連れて行く。学生たちもそれを知っていて、彼をガーベラ先生とよぶ。
 ガーベラさんは時折その鉢を家に連れて帰り、別の鉢を連れて大学にいく。週末は鉢に植えられた沢山のガーベラの世話をして時間を過ごす。授業や学生のことを嬉しそうに話す主人の声に私は耳を傾けている。


散文(批評随筆小説等) ガーベラさん Copyright 瀬崎 虎彦 2009-12-18 01:49:57
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