楽園
望月 ゆき



おもりによって、わたしの外側の水位は上昇し、その先のどこにもふちはなく、溢れることができないままの記憶を、てのひらですくっては、こぼして、すくっては、こぼす、そうやって衰弱していく過日を潤している。時おり、ただよう酸素に沿って、魚がやってきては、触れることのできないわたしの皮膚を、ついばもうとする。その流線型の残像からも、水源の行方を知ることはできない。それよりもずっと以前から、底辺とはこんなふうに限りなくほどかれた、ゆるやかな長調の旋律につつまれた場所であったと。




水脈は、合流して、いずれまた分かれて、流れは絶えずつづいている。あなたの手の甲に広がる薄い皮膚の、その下を流れる、青く細い川に、久遠を見出すことができたなら、もうわたしは、無機物にあこがれを抱くことはしないのに。視界にフィルターをかけることで、不純物が取りのぞかれ、落ちてくるドリップの濁りない音が、わたしの内側で反響している。

 


合図を待って、細胞が拡散をはじめる。モールス信号の、その律動的な波形の、いつまでも止まない、スヌーズ。覚醒しないあなたの、耳元で、おぼえているだけの言葉をすべてならべるけれど、その直後に、短点と長点の合い間で要約されて、「おはよう」だけが、わたしにのこる。魚が、タクトを振りながら、泳いでいる。そうして、まだ明けない水の夜に、あなたの、獅子座をさがす。




皮膚に、阻まれている、いつも。その決して混ざりあうことのできない、境界線の上で、わたしたちは存在していて、足もとでは、朝がいつも、反射したり、屈折したりしている。あなたの、鼓動の、沈黙に耳をすます。呼応するパルス、そのわずかな波動が、朝ごとに生まれつづける、わたしの内側に、署名している。花が手向けられると、儀式がはじまり、錘から、解き放たれ、わたしはもう、あのほどかれた場所の、どこにもいなくなってしまう。




表面張力のグラスを、口元に寄せて、夜を飲みほすと、透明は、さらに透明を増していく。ありふれた、朝のあいさつで、外側の水位は下がり、水底は上昇をはじめる。とじていた木槿むくげが花弁をひらき、やがてわたしは、わたしの死後の朝にであう。






   




     
「狼+」17号掲載。



自由詩 楽園 Copyright 望月 ゆき 2009-11-18 22:02:36
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