詩想 —6
黒乃 桜


ピョーンって音がすればいいのに。
それってすっごい可愛い音じゃない?そしたらきっと楽しく弾けるはずなのに。
真っ白くて硬い鍵盤に、同じような指を置いて苦笑した。
ピョーンじゃなくてバーンって重たい音がするような気がした。
それはきっと気分まで重くしてしまいそうな気がしたから、弾くのをやめて逃げるようにピアノの蓋を閉めてしまった。
こんな風にする事を、逃げているのだ、って言われるかもしれない。
いや、かもっていうか、言われてる。きっと。

「不味いピアニッシモ・・」

ベッドにダイブして、由夜から貰ったピアニッシモの箱を見つめる。
綺麗な綺麗な、白。それはその箱も同じはずなのに。
そしてその人の爪も、同じような・・そう。
今は無きこの箱の中身さえ、白いはずなのに。

「不味いのに、何で吸い続けるのかなぁ?」

苦笑しながら呟いた。そういえば最近独り言が多いなぁ・・、ってそういう事じゃなくて。
嫌いなら辞めてしまえばいいのに、誰かを傷付ける事も、俺と会うことも。
そう思うけれど、でもその答えに一番近いのは、俺とは違う、って事だろう。

「俺みたいに逃げてばかりじゃないって事?」

自分でそう思ったのに、質問気味に呟いた。
そして流音は、カーテンまで閉め切った真っ暗な部屋で一人おかしそうに笑ったのだった。



何がしたい、とかそういうんじゃなくてただ、何も持ってないような気がした。
周りの人は、両手をいっぱいいっぱい抱え上げてそれでもまだ足りないくらい与えられているのに
自分はこれだけ、両手の平にちょこんと少しだけ乗せられている。
それなのに、そんな少しだけのものも消えてしまいそうで、寧ろ誰かに盗まれてしまいそうで。
泣きじゃくりながら必死に守っている、いつしかそれもばからしく思えて誰かにくれてやったってやっぱり心のどこかではそう、で。
だから、奪い取れって唱え続ける自分が居る。
奪い取ってしまえ、でもやっぱり、それも面倒臭い・・って。
待ってる。小さな子どもみたいに、誰か優しい人が立ち止まって飴を両手いっぱいにくれるのを、待っている。
大人になってもそう。それも一種の、死相。



ああ、そういえば最近誰かを殴ってないな。と不意に思い立つ。
前はやる事もなくふらふらしてたから、そうなってたけど。
今は迷いもなく向かうところがあるから・・そんな寄り道している暇はないってくらい。
それが、以前の俺だったら笑うだろうな、と思いながら由夜はまたあのフェンスの前に座り込んでいた。
買ったばかりのピアニッシモの箱を開けて、一本を取りだし口にくわえる。
お兄さんは与えるっていうか、作ってくれる人だよね。
昨日別れ際に流音に言われた言葉がよみがえる。
どういう意味か、なんて深く考えるつもりはないけれど何故かどこかに引っかかる。
あいつに会ってから何かがいっぱい引っかかってばかりだ、と苦笑を零した。

「こんばんは」

上から声を掛けられて、見上げると流音が立っていた。
なにやらでっかい紙袋を両手で抱えている。
あぁ、と適当に返すとその両手で抱えていた紙袋を膝の上にどさっと置かれた。
なにやら紙のようなモノが大量に入っていて、結構重たい。

「・・?」

何これ、と言う代わりに眉間に皺を寄せると流音はにこっと微笑んで、あげる、と言った。
あまりにも急な事で、紙袋の中を訝しげに覗く。
お世辞にも綺麗とは言えない、少し黄ばんだ紙。一枚取って眺めてみると、それはなにやら楽譜のようだった。

「俺がかいたやつ。昨日の箱のお礼」

いつの間に隣に座っていたのか、流音は小さく微笑みながら呟いた。
そしていつの間に買ってきたのか、缶コーヒーを開けて飲み始めた。その横顔はどこか満足気だった。
しかし由夜は眉間に皺を寄せ、はい?、と零す。
楽譜なんか貰っても、つかわないし、ていうかそれって大事なモノじゃないのか、と。
それが言わなくても伝わったのか、流音は両手で缶コーヒーを持ったままこちらを見て、また微笑む。

「いいの。お兄さん、持ってて」

何が、いいの。、なのか分からない。
由夜はため息を零して紙袋を傍らに置き、流音をジッと見る。

「なんで?」

由夜の質問に流音は、なんでっていうか・・、と零す。
そしてふっと目を逸らして俯きがちになる。

「なんか・・邪魔だったから・・」

流音の答えに、由夜はまた深い深い溜息を零した。
ピアニッシモの煙が漂い出す。
缶コーヒーの湯気も同じように。
由夜はそれを空を背景に眺め、流音は道路を背景に眺めた。

「俺はゴミ捨て場じゃねぇっつの」

流音は小さく苦笑を零して、うん、と言った。
うん、ごめんね、と。
由夜はまた溜息を零しながらも、重たい紙袋を引き摺って家に帰るしかなかったようだった。

「その内絶対返すからな」

やれやれといったように言うと、流音はこちらを見てまた苦笑した。
その苦笑は、少なからずとも笑み、だったけれどもどこか泣き出しそうだな、と由夜は思った。

「うん。」


散文(批評随筆小説等) 詩想 —6 Copyright 黒乃 桜 2009-11-06 17:52:44
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