えこながいた
人 さわこ

閉じたまぶたの裏側
流行のカフェ
野球場
交差点
カーテンを開けて見た窓枠の景色
ピースサインの谷間

病院の待合室
えこなはいつも、私を待ち伏せるかの様にそこにいた

えこなはそこで受付をしていた
寿命が顔にかかれた人々の名前を
えこなはただ事務的に呼び続けていた
えこなにはいくつかのものがなかった
たとえば、怒り
たとえば、向上心
ひとつのものを大勢で分け合うという概念
雨を疎む心
直感
だからときどき、何を考えているか理解できないときがあった

数年前、私が足を骨折したときも
えこなは私のギプスをいつまでも不思議そうに眺めていた
文字をかいたり
お湯をかけたり
威嚇したり
すっかりふやけてしまった私のギプスを見て
えこなは「壊れた」と言って眠ってしまった

「あたいは生きてるものにしか興味がないの」
高校時代の担任の葬式でもえこなはそう言っていた
棺桶の周りをぐるぐると回り
壊れていると認識するやいなや帰ってしまったという

えこなが裏声で私の名を呼ぶ
えこなは私を覚えているのだろうか
会うたびに私は自己紹介をしている気がする
私がえこなの方に目をやったときには既に
えこなは紙のようなものに絵のようなものを描いていて
それ以外のことには関心がありませんよという顔をしていた

風邪薬を受け取りまっすぐに帰った
熱はないけれどとても背中が寒い
もう夏は終わってしまったのだ
どうしてか、毎年夏はすぐに終わってしまう
私はその早さにただ驚くことしかできないでいる
前歯の裏側を舌で確かめながら、食器を洗い
眠る準備をしていたそのとき、電話が鳴った

えこなだった

「具合はどう?」
えこなが言う
「うん、大丈夫、寝れば治るよ。心配してくれてありがとう。」

「フランス」
「フランス?」
「フランスにね、行くの、今度。」
「仕事か何か?」
「ううん。絵を描こうと思って。」
「何か描きたいものでもあるの?」
「ううん。でもね、フランスにはきっと、おいしい食べ物がないと思うの。だから、あたいがみんなに、おいしいものを食べさせてあげようと思っているの。でね、あたい、それを描きたい。おいしいものを食べているフランス人やフランスに住んでいる外国人を描きたいの。じゃあね、愛してる。」
電話が切れて、窓の外から雨の音が聞こえた

えこなはいつも考えている
そしてそのために行動している
私はそれを羨ましく思う
テレビの電源を切った
暗い画面が痩せた顔を映していた


自由詩 えこながいた Copyright 人 さわこ 2009-10-02 21:55:02
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