スキンダイブ講座
udegeuneru
※スキンダイブ講座は後半にあります。
冒頭部はつまらないので飛ばしてもらってもかまいません。
5、6年前だろうか
社会から全く認知されない形で
社会を変えていくような存在になりたいと思っていた
なぜそんなことを思っていたのか今では思い出せない
たぶんその時みた小説か映画かなんかに影響されたのだと思うが
とにかく記憶というのは頼りにならない
で、今の俺にはそれは無理なことだと思う
何もしてなくても社会は俺を巻き込んでくるし
ましてや何かを成し遂げるときに
まったく存在を悟られずにやりきることなどできない
だが政治というのはなるべく存在を消して
というかどこにいても不思議じゃないような
空気のような存在感でものを言い
自分の思うように世の中を動かすということではないだろうか
そうすれば失敗した時に責任というリスクから逃れられる
ただそのやり方ではついて来る人間が限られると思う
最初はうまいこといっても
そのうち頭のいいやつに見破られ反発される
そしたら最初ついてきてたやつらが手のひらを返す
だから最終的にはすべての責任を自分が負うという姿勢が必要なのだと思う
誠実さとはそういうことじゃないだろうか
俺の親父はくたびれた顔をして
夕刊フジを読みながら老いぼれていくような
そんな人間だった
だったっていうかまだ死んでないけど
ほとんど死んでいる
おれは死ぬことに執着しているわけじゃない
いざというとき
しょうがないなと開き直ることができる
それが自分の判断でまねいたことならなおさらだ
もちろん逃げるときはものすごい早さで逃げるけど
ただやみくもに逃げ続けるのはやめようやと思う
俺はラインをこえて
確かめたいことがある
べつにゲートでもなんでもいいけど
おそらくそれは「こころ」に関係がある
ホンネみたいなタテマエの中で右往左往して死ぬぐらいなら
ラインを越えて死んだ方がまだマシだと思わないか?
だから人の言うことなんか信用しなくていい
マーシーの言うことも信用しなくていい
俺の言うことも信用しなくていい
ひとりになって
ただ静かに自分の心に耳を傾けてほしい
なるべく雑音が入らないように
知識とか常識とか
ときには美意識さえも邪魔になる
それらは一見、自分のためのもののようだが
じつは他人に迷惑をかけないための安全装置だ
結果的に自分を守ることにもなるから
何よりも尊重しなければならないように思ってしまう
ちょっと脱線したかも
それらが必要ないときに
つまり一人きりのときに心の声に耳を傾けるんだ
それはダイビングに似てる
スキューバのときにパソコンを持っていくやつはいないだろう
重みで沈んでしまうし、沈まなくてもパソコンが壊れてしまう
それじゃあ日常生活が営めないっていうんでダイブをやめてしまう
または躊躇する
それはまぬけじゃないか
簡単な話、余計なものを持ち込まなければいいのだ
簡単じゃないかもしれないがシンプルだろう
シンプルってことは解決するときは一瞬だ
また脱線したかも
どうしたって不安はつきまとうが
なるだけ身軽になって
戻って来れるように
ダイブしろ
皮膚の下にある海に
そのスキンダイブは数十秒、あるいは数秒で終わるかもしれない
それでいい
戻って来れなかったら元も子もない
その数秒の間に見たものを記録するんだ
断片的でいい
なるべくありのままに
結果的には言葉という形になるだろうそれはしょうがない
ここで大事なのは書き留めておくことだ
記憶はほとんどあてにならない
そこで記録したことが
次のダイブの手がかりになる
ただその断片にあまり執着しないこと
ダイブのときは常にフラットな状態でなければいけない
そしてまた新たな発見がある
それをまた書き留める
しつこいようだが記憶では駄目だ
ここで当たり前のことをいっておくが
無理はしちゃいけない
発見が無くても焦らない
苦しくなりそうだったらすぐやめる
ダイブするときは体調をよく見ておくこと
それから繰り返しになるができるだけ身軽になること
そのためには完全に一人になることだ
それができないときはダイブはしないほうがいい
休息も必要だ
十分休んで体調の良いときに行おう
じゃないと死ぬから
ただめんどくさいからって理由はよくない
やるかやらないかはあくまで自由だけど
そのようにダイブを繰り返し
発見を積み重ねていくことで
発明や創造が生まれる
その可能性だけは死ぬまである
あきらめないことだ
最後に、スキンダイブは対話形式で行える可能性があることも提示しておく
ただ相当な信頼関係がないとできないし、危険も伴うので
慎重に判断してほしい