アラスカ4〜物語のなかへ〜
鈴木もとこ

 昨日は変な日本料理店へ行ってしまった。いや、場所が違うだけで実はとても普通な店
だったのかも知れない。
 暖簾をくぐってその店に入ると「いらっしゃい!」と、人の良さそうなおやじと茶髪で
若そうな姉ちゃんが陽気に迎えてくれた。店内にはサラリーマン風の男性2人が向かい
合って定食を食べており、カウンターでは中年の女性が1人寿司をつまんでいる。サザン
の涙のキッスなんかが流れていて、メニューもキリン一番絞り600円なんてカンバンが
掛かっている。全員日本人。おお、ここは日本か?
 本当に36時間もかけて来た北極に近い外国の街なのかと、軽いめまいすら覚えてしまっ
た。グルグルしていても仕方がないので、アラスカ丼なる実はただの鮭イクラ丼を食べて
帰って来たのだが、いやいや参った。いくら疲れたからって日本料理店だと異文化には触
れられないのは当たり前・・・の夕食であった。
 朝起きて次の場所へ行く用意をしていると、ホテルの玄関のチャイムが鳴った。
もうはや旅行会社の係員が迎えに来たか!あわてて出ると、金髪に緑の目のアメリカ人男
性がにこやかに立っていた。
「は、ハロー」
「おはようございます。ガイドのコリンです。昨夜はよく眠れましたか」
なんと流暢な日本語!自分の勉強にはならないけれど、とりあえず道中は英語に苦しまな
さそう。少しほっとして、あわてて詰めた荷物とともに車に乗り込んだ。
「よろしくお願いします。鈴木です。今日は何人参加なんですか」
「鈴木様だけですよ」
「へっ?」
聞けば他の旅行者はみんなガラス張り展望車両のついたアラスカ鉄道に乗って、目的地の
デナリ国立公園へ行ったらしい。電車代1万円をケチって車にしたのは私だけだった。
苦笑いしながらアラスカ2日目は順調にスタートした。
 アンカレジの市街地を抜けるとすぐに写真で見たアラスカらしい大自然になり、ツンド
ラと高い山の連なりが迫ってきた。山の頂上はもううっすらと白くなっている。「昨日寒
くて初雪が降りました。もう秋ですね」とガイドのコリン君(推定年齢26歳)がこれまた
流暢に教えてくれた。
 どこまでも続く真っ直ぐな道。背の低い草花、湿地帯、黒々とした杉の林に3000m級の山々。車窓からでも充分に広がりが感じられる。思ったとおりいや、想像した以上にアラ
スカはどこまでも雄大だった。
 2時間ほど行くと、空の端まで見渡せそうな開けたツンドラ地帯まで来て、車は止まっ
た。「あれ?もう着いたの?」とコリン君に聞くと、「まあ外に出てみてくださいよ」と
言われ、車を降りた。外は日差しが強くても意外と涼しい。ひんやりとした空気を胸一杯
に吸い込む。
と、コリン君が何か丸いものを手渡してくれた。
濃い紫色の実。「あ、ブルーベリー!」草原だと思っていたものは、背の低い野生のブル
ーベリーが一面になっているものだったのだ。
 口に数粒入れてみる。プチッとした感触のあとにさわやかな甘さとすっぱさが広がった。
「下を向いてずっと食べていると、熊さんも夢中になって食べているので、お互い気が付
かなくて会っちゃうことがありますよ。」なんてコリン君が話してくれる。本当かいなと
思いながらも、日が当たって甘そうなところを摘んでは口に入れた。
 ブルーベリーの広がりのまんなかに、アラスカ鉄道の線路がまっすぐ伸びている。
囲いも何も無く、線路伝いに歩いていけそうだ。スタンド・バイ・ミーの1シーンを思い
出していた。このままいたら向こうから汽車が来たりして。
「もうそろそろ列車が走って来る時刻ですよ」とコリン君。
せっかくだから、黄色の車体に赤のラインの車両を見てみようということになり、しばら
く待ってみることにした。
 遅れているのかなかなか来ない。諦めてまた車で出発した。

 途中のドライブインで紙コップの紅茶を飲みながら、展望台の看板を見る。
 遠く雲に覆われて良く見えないが、ひときわ高い山のあたりがデナリらしい。もう国立
公園の近くまで来ていた。デナリとは北米一高い山マッキンレーの現地名で「偉大なるも
の」という意味。約6000メートルもの高さのため、常に雲といくつもの厚い氷河に覆われ
ている。厳しい寒さのため、そう難しい登山ではないと言われながらも、しばしば遭難者
が出る。冒険家植村直己もこの山のどこかに横たわっているはずだ。星野道夫は、ブッシ
ュパイロットと呼ばれる軽飛行機の操縦士にこの山の中腹まで乗せてもらい、何日も氷河
の上でキャンプをしながら写真をとったそうだ。
 そんな物語がある場所に自分が近づいている事がとても不思議で、もうすぐ道夫がアラ
スカのある一瞬を切り取った場所へ、実際に行き着けると思うと胸が躍った。

 旅行会社のバンは、山あいの開けた場所に唐突に現れたログハウス群の中へ吸い込まれ
ていった。デナリ国立公園の入口。センターハウスと大きなホテルにバンガローが50棟ほ
ど川沿いに並んであり、小さな郵便局とレストランも併設されている。どれも木作りで、
景観を損なわないように低く建てられていた。そういえば、アラスカは看板も高さが法律
で規制されていると聞いたことがある。さらにここデナリ国立公園では、野生動物が人間
と近づきすぎないようキャンプなどで入園する人数を制限している。入園者にはスチール
製の食材を入れるカンが手渡され、熊などが人間の食べ物に味を占めて里に下りてきたり、
人間を襲わないよう工夫されている。イエローナイフ国立公園では観光客の為に餌付けを
行った結果、駐車場に止めてある車を壊してまで熊が食べ物を探す事態になっているとい
う。そういう過去の反省もあり、アラスカでは様々な規制が厳しいのだ。
 アメリカの環境や自然に対する姿勢にはいつも関心させられる。日本の社会やアウトド
アの考え方もこれだけ成熟するといいのだが。
 私の住む北海道も近年ヒグマが住宅地まで出没して、人間と野生動物の住み分けが問題
になっている。山を削って急速に宅地の造成が進み、熊のテリトリーまで人間が押し寄せ
たせいで、食べ物を満足に摂れるほどの広さと自然が足りない熊は、里に下りて来るのだ。
 自然が沢山あるようなこの土地でも、開発という名の破壊によって急速に自然が失われ
ていっている。川釣りに出かけてまず驚くのは、めったに人が入らないような山奥にまで
砂防ダムがあることだ。山の砂が流れていかない事で海岸がどんどん狭くなっているとい
う事実はもう皆知っているのに、誰も気が付かないうちに静かに次々と作られているのだ。

 私の部屋は、ネナナ川に面した2人用の小さなバンガローだった。
大きなベッド、バスタブ無しのシャワールームに洗面台。簡素な作りだけど、十分十分。
 洗面台に水を張って、アンカレジで仕入れた黄桃とグレープフルーツを冷やす。おっと
地ビール「アラスカン・アンバー」も忘れずに冷やそう。今夜は白夜が終わってやっと沈
むようになった夕日を見ながら、ドリトスをツマミにこれで一杯。川岸のテラスで爽やか
な風に吹かれながら、遠い日本にいる辺境旅行の相棒の誕生日を祝おう。
ふふふ。何て贅沢な時間!
 うきうきしながら、併設されたレストランへ夕食をとりに出かけたのだった


散文(批評随筆小説等) アラスカ4〜物語のなかへ〜 Copyright 鈴木もとこ 2004-08-31 23:21:26
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