Doll
ツキチカ

その店の前には男が独り
その手は確かめるように
古ぼけた樫の扉に触れる
退廃的な空気に惹かれて
蝶番を軋ませ踏み入れた

男は躊躇を一切見せない

待っていたのは想像通り
寂れた雰囲気とマスター

「こんばんは。
 ようこそいらっしゃいました。」

少し微笑んだ唇さえ
温かみを感じないのは
男の心のせいではない

「邪魔するよ」

男はカウンターに腰掛け
雨に濡れた髪に触れる

「ご注文は如何なさいますか?」

問う美しいテノール
寒々しいくらいに
男はやはり間を置かず
嘆息よろしく吐き出す

「救いの無い物語を。
 無ければ安い作り笑顔を。
 酷く無表情な感情が欲しい。
 愛無き故の欠落よりも
 故無きが故の無意味を感じていたい。
 ここの店には置いているかね、マスター?
 何処を探しても意味のある物しか置いてないんだ」

マスターは言う―

「ええお取扱いしております。
 救えない話も、
 安い作り笑顔も。
 無意味故の久遠を売り物にしていますよ」

歪むマスターの唇
男は顔色を変えない

「じゃあマスター。
 君のお勧めをもらおうか」

男はマスターに告げる

「後悔はありませんね?」

「無いさ。
 もう後悔する程…
 執着する物なんかない」

吐き捨てられる言葉

「…ではどうぞ。
 救いの訪れない話を」

―男は安堵の顔付きで崩れ落ちた―

その店の中には男が一人
その手は力尽きたように
床に投げ出されている
退廃的な空気に惹かれて
蝶番を軋ませ踏み入れた男
マスターはそれを棚に陳列する
その隣には若い男
その隣には紅い服を着た女

それは全てマスターの人形
二度と救われる事の無い話達

「ようこそ我が館へ」

満足そうに嗤う声
答えぬ人形に
美しいテノールを注ぐ

「君はこれで救われる。
 本当に救われない話は…
 私だけしか知らない。
 誰にも味わわせてやりはしない。
 本当に救われないのは俺だ」

そしてマスターは今宵も迷って辿り着いた
ヒトカタを眺めて笑い
救われない話を待っている


自由詩 Doll Copyright ツキチカ 2009-03-24 05:14:32
notebook Home 戻る