残骸の波
桐野修一

血反吐を吐いてぶっ倒れる透明なHomo sapiensを見た家族連れの今日のランチは
豚トロと白ネギのぺペロンチーノでその残飯は浮浪者のディナー。

寂れた海沿いの街の産婦人科医院に勤める女の一日は
一人の胎児を誕生させることに始まり
昼食後に一人の胎児を殺して
それからフラメンコ教室で陽気に踊る。

人に媚びないことを信条とする男は街で出会う無法者の目をけして見ることはない。

長崎産のカステラを大事に抱えて帰郷した老婆を駅で突き飛ばした若者は
ロータリーで若い女を物色している最中にトラックに激突され脳みそを吹き飛ばした。

その返り血を浴びた帰る当てのない少女は血を拭うこともなく今日も寄生する男を漁る。

足早に歩く人の群れはまるで死者の行進だ。
辺りには嫌な臭気が漂う。

人知れず貯めていた貯金を強盗に奪われた中年女は
腹いせにフライパンで道行く人を殴り殺した。
街では評判のいい女。

それを横目で見た青年の関心は意中の女からメールの返信が来ないこと。
女には三人恋人がいる。

草木の芽が自己主張する事を目障りに思う
コンクリートの憤りは揺るがない想いとなりユングの主張を肯定させる。
工事現場は休まない。

執拗な画商に迫られる女は生まれた時から視力を持たない。
故に青の意味すら分からない。

神を信じる少女の下には今日も降臨する兆候がない。
信心さが足りないと母親は嘆く。

壁の落書きから芸術が消えた渋谷の人知れぬ小道から湧き出てくるのは人の残骸。
既に人は人でなく街は街でなく生命は生命でなく死者は死者ではない。

存在するのはただの残骸の波。

かつては全て形在ったもの。


自由詩 残骸の波 Copyright 桐野修一 2009-03-21 18:54:38
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