森の背中
佐々宝砂

森はあたしの同級生で
森というのは苗字ではなく名前で
苗字は山田とか佐藤とか鈴木とか
そういう犬のクソみたいなたぐいだったと
思ってほしい

あたしはいつも森とだけ呼び捨てにした
moriという響きが死を思い出させて
それだけはほんとにあたしの気に入った

森はバカではなかったはずだが
バカっぽくみえた
デブではなかったが身長が低くて貧相で
なんとなく犬に似た目が歪んでみえたのは
たぶん乱視だったからだと思うけど
森はメガネをかけようとしなかった
世の中をまともに見るのが怖かったからだろう

もちろん森は全然もてなかった


そんなやつの背中が
それも裸の背中が

寝ても覚めても脳裏に浮かんで
消え去らなくなったのは

かったるい水泳の授業が終わってからのこと
更衣室から教室に戻ると
森が上半身裸で机に突っ伏していた
そのうしろでみんなががやがやと騒いでいたのは
森の背中に十センチくらいの切り傷があって
たらたらと血が流れていたからなのだけど
なにしろケガをしていたのが森だったから
誰も保健室に行けとは言わなかった

森なんかどうでもよかった
顔も性格も声もなにもかもどうでもよかった
いやどうでもいいというよりも積極的に嫌いだった
でもその背中の傷が
水で少しふやけた白い背中が
そこに赤く開いていた傷口が
傷口が

あたしは背中の傷に唇をつけて
その血を啜りたいと思ったのだった


しばらくたってあたしは
森をあたしんちの近くの土手に呼びつけた
服を剥いで背中を思い切り蹴飛ばし
倒れたところを踏みにじった
埃まみれの顔に鼻水が流れて
ものすごくみっともなかった

森は痩せていたから
背中には余分な脂肪というものがなかった
小型の骨格標本に筋肉組織をはりつけたみたいで
肩胛骨がやたらに目立った
その肩胛骨の上に
例の傷口があったが
それはもうあたしの心をそそらなかった
傷はまだ生々しく
あたしがかさぶたを無理に剥がしたので
血は充分ににじみでたのに

あたしは自分がなにをしたいのかわからなくなった
森の背中をぶちのめしたいのか
炙りたいのか
鞭打ちたいのか
セックスしたいのか
思いつく限りのなにもかも
違うという気がしたが

土手沿いの道には街灯もなく
ほんとうに誰一人こなかったから
あたしたちはそこにレジャーシートを敷いた
疲れ果てると森は
毀れた機械のように眠ろうとした
あたしはもちろん
森を眠らせたりしなかった

でもあたしは絶対に満足しなかった
相手が森であろうと
なかろうと
あたしは満足したことがなかったのだ


でもそれは
ついさっきまでのこと

あたしが何をしたかったのか
あたしが何をほしかったのか
いまこそあたしは知っている

土手沿いには三日月沼がひとつあって
葦がたくさん生えていて
四畳半くらいの広さしかない水面は
澱んで泡を浮かべている

沼の暗い水に浮かんでいるのは
泡だけではない

うつぶせになってたらりと手足を沼に沈めて
浮かんでいるのは森
顔なんか見えないし
この体勢ではセックスなんかできないけれど
そんなことはどうでもいい

これがあたしのほしかったもの

白くふやけた
あたしがころした
森の背中に

冷たく固い
moriの背中に

あたしはゆっくりと
自分の肌をかさねてゆく


自由詩 森の背中 Copyright 佐々宝砂 2003-09-19 03:36:05
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
Strange Lovers